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見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

続けることを続けている

今年の下半期から出勤時間を早めている。
7月から実験的に始めて、8月からこの11月までずっと8:30から仕事を始めている状態。
今の会社はフレックス制ではないのだけれど、時間を変則的に調整することは可能なのだ。

きっかけは、

  • 夏だしサマータイムで動きたい(実際は忙しすぎてあまり意味がなかった)
  • 8:30から働くメンバーもいたので自分もしてみるか(時間が限られている中で仕事をしているメンバーを見て、朝弱いをいつまでも言い訳には出来ないなと思って)
  • そういえば新卒時代のメンター兄さんがずっとこの時間から仕事してたっけ(実際は通常業務出来ないスキルのピックアップなど自分のスキルを磨くための時間を確保していた。エンジニアだけどプロマネやらデザインも出来るマルチなタイプな方だったので。)

とかとか。

 

この勤務にしてから、

  • 規則正しく朝起きるようになった(前日に日付が変わるまで飲んでも起きてしまう)
  • 出社すると人が少ないので余裕を持って仕事を始められるようになった。
  • 早く帰れる時は、17:00に会社を出ることも出来るので、予定を立てやすくなった。

まぁ業界的には早い方かもしれないけれど、私は割と気に入っていて、来年以降も続けていけられればなと思っている。

とはいえ、続けてまだ3ヶ月。
3日坊主になってないからもう大丈夫だ。もう自分の中で当たり前になってしまったのだから。

 

今年の最初に"新年の何か"という文章を書いていて、その中で「サイクルを整える」という項目があった。

当たり前の事のようで、これを当たり前にするのが難しい。

当たり前にするきっかけはいくらでもあるんだけれど、それを続けていくのは難しいと思う。でもコツコツと続けていくと良いこともあるものだと、今の会社で教えられ掴んでいるように思う。

今の私に大切なのは、続けることを続けていくことなのだ。
そのサイクルはいつか大きなものになるのだから。

波を整える

自慢じゃないけど波持ちの人間である。
これは、病気と診断されたとかじゃなくて、昔からの性質で、逃れられない性質で、上手くコントロールしていかないといけない性質で。

そんな性質の私は、昔から、もう1人の自分を常に同居させている。
これも、病気と診断されたとかじゃなくて、昔からいて、「まぁまぁ落ち着け」と宥めてくれて、時には入れ替わって演じてくれる、今より中性的で中立な自分。

で、今までは、そんなもう1人に頼りきって、本来の自分をずっと甘やかしていた。

「波があるから仕方ない。」
「もう1人がいるから、”私”は引っ込んでいれば大丈夫。上手くやってくれている。」

何かと理由をつけて、自身の成長を止めていた。

 

 

今から4年ほど前か。
私は、もう1人に頼らなくなった。いや、頼れなくなった。
もう1人の自分が突如いなくなったのだ。
いろんな変化の中で、もう1人を生み出す余裕が無くなった。つまり、リミッターが外れた。

そこから先は、てんやわんやで、こんなに感情の起伏が激しいのか、と振り返っては自責の念にかられる。
すっと後ろを振り返ると笑い話が転がっていて「ははは。もう申し訳ない。」と苦笑いをして懺悔する。

ただ、その中で、本来の”私”は確実に成長していった。
たくさんのことを経験し、純粋なまま育った心は、打ち砕かれてもその純粋さを保っている。
自分ごとながら、腐るでも恨むでもなく、ありのままを受け止められる精神があったのは、ずっと何かに守られていたように思う。根っこも心も、結局はいつまでも10代のあの景色のままなのだ。
“私”は、”私”として、少しずつ階段を昇り始めた。
揉まれながらも何しながらも歩むことをやめないと、そう決めたのだ。

波が起こっても、その波を無理に抑えようとするんじゃなくて、乗るように寄り添う。
だんだんと波が整っていった。
この感覚に気付けてきたのは、ここ1年の話。ようやく世界が開けてきた。


波が整ってきた先にもう1人の姿が見えてきたが、私は助けを求めなかった。


「もう、ちゃんと。歩けてるよ。」

そうやってニカッっと笑ってみせると、もう1人は、

「じゃあ、もう大丈夫だ。いつでも見てるから。」

そうやって微笑を浮かべていた。

 

半分は溶け合って、半分は自己を保つ。
自分を客観視して、律する存在は、やはり必要なんだ。

 

 

おかげさまで私は立てている。
自身の成長と共にたくさんの人を巻き込みながら。
それも含め、私はこの波を乗りこなして、還元していきたいのだ。

周りがそう思ってくれているように
私も本来自分が成すべき役割をそう望んでいる。

過去と今と未来と #6 〜巡り巡る

先の3連休は、度重なる左胸の痛みと戦っていた。

しゃがむほどではなく、ただ座っていると「あれあれ?」と気になるぐらいのチクチクさ。

左半身の感覚が時おり鈍くなり「あらら、ダメだなぁ」と。

元々は虚弱な方だ。こういったことには慣れている。

 

うーむ、と考え、一先ず身体の冷えをなんとかしてみることにした。温めれば少しはどうにかなるだろう。

ちょうど近所にスーパー銭湯がある。

この数ヶ月、動きっぱなしだ。フットワークは止まることを知らない。

そうだなぁ、久々にゆるりとしよう。

 

お湯に浸かって、サウナと水風呂の交互浴の中で、うにゃうにゃと、ボーっと温まる。

その中で自分の直近の行動を思い出す。

 

あの時、嬉しかったなぁ。

どう問いかけたら、もっといろんな話を聞けただろうか。

久しぶりにいろんな人を繋いだなぁ。知り合いの知り合いは、知り合いなんだなぁ。

相変わらず行動が雑だなぁ。もっと丁寧に、紡ぎたいなぁ。

 

うにゃうにゃと、ボーっと。

その時の行動と自分の感情を、離れないように、繋ぎとめておくように、ゆっくりゆっくり、自分の中に巡らせる。

 

浴場を出て、ドライヤーで、長く伸びてきた髪を乾かす。

人生で1番髪が長くなってしまった。

鎖骨を超えた。ショートでボーイッシュだった私の面影は最早ない。

 

服の傾向も変わり、断捨離を覚えた私の手元に残る学生時代の服はだんだんと少ない。

着てみたかった、ゆるっとした女性フォルムの服。でも切り返しが凝ってたり、服の中に遊びやこだわりがある物。

そういう物を選ぶようになった。

私は10年ほど前に自分がイラストで描いていたようなキャラクターの容姿に近づいている。

 

過去と今が交差する。

「今、私が改めて描くならどうするんだろう。」

とボーっと、ドライヤーの熱風で温まった思考しない脳を動かす。

 

髪が乾いて席を立つと、気になっていた違和感は少し和らいだ。

代謝を上げていこう。

変わる力は原動力となるのだから。