くすぶりの沼
いろいろ思う事もあるけど
抽象された絵空事に捉われるな
自分が手に持っているオールの使い方を考えろ
足場となっている素材を知れ
どんな場にいる?現実を見ろ
じゃあ次の一手をどうするか
それは全部自分次第
全部
こういった思考になってから
過去と現在の自分と対話して
未来のためにどんな一手を積み重ねていくか
という話が出来る人に出会えた
嬉しい限り
誰でも沼に入る
誰かに手を差し伸べてもらう事が出来る
それでも結局は自分次第だ
本当に最後は
自分がどうしたいかだ
やるだけ
「知る」「知らない」の世界では既にない
「やる」「やらない」の世界
今の世界に抗うのでなく
身を委ねながら実行していくだけなんだ
"「ドメインを買う」というのは、「インターネットに住所をもつ」という事じゃない?"
目の前のその人が言うのは、かつて誰かに言われたような事だった。
その人は、「tofubeatsの記事を読んで、そう思い立ってさ、買ったんだよね。」と言っていたが、私は尊敬していた兄貴分のような東京のクリエイター先生に言われた事だったのだ。
無から有を生み出すような人達は、似たような事を言うのだ、とその瞬間思った。
*****
私がドメイン買ったのは、2010年だか、2011年だかの事で。
おそらくfacebookを始めて数ヶ月後かどうかだったと記憶している。
去年数ヶ月失効してしまったが、取り戻したので、ずっとこのドメインを使っている。
今は、どこのサーバーにもサービスにも連携してなくて、少しだけ宙に浮いた状態だ。*1
それまでは、いろんなサービスを利用して自分の場を持っていた。
「kuraruk」というのは、twitterを始める際に使い始めたアカウントで。以降は、全てこのアカウント。以前は、というと、過去を辿ると小学5,6年生の話のようだ。
私は、昔も今も未来も、インターネットに、少しずつ自分の場を作る。
目の前のその人に聞いた。
「既存のサービスではなく、何故ドメインを?」
「既存のサービスも良いんだけどね。自分の家が欲しかったんだ。既存のサービスは、言わば賃貸住宅。ドメインを手に入れる事で私の家を建てたかったんだよね。」
その言葉を聞いて、ドメインを購入した当初の気持ちが蘇る。
*****
私がドメインを買った理由は、自分の作品・活動をまとめたポートフォリオを作りたかったからだ。
大学生だった当時、就活目的で作成していた。
最初はFlashで作っていたが、時代の流れと共に、wordpressを導入して、htmlとcssを組んで、誰にも指摘されるわけじゃないから、自分がやりたいようにデザインして。。。
なんて。
就活目的ではあったが、自分の場を作る事は楽しかった。自分だけの創作の時間に没頭する事は何時だって楽しい。楽しいという気持ちは、忘れてはいけないのだ。
ドメインとサーバーを失効した際に、私の場は、更地に戻った。
データのバックアップは適度にあったし、そこまで更新をしていたわけでもなかった。
ただ、今までそこにあったものがなくなるのは、寂しいな。やっぱり。
ドメインを復活させた際に、いろいろと構想をしていて。
「簡単なもので良い。このブログのRSSを取得して、Ajaxでサイトに紐付けて呼び出す事ぐらいなら行けるでしょう。」
とかとか。
本来ならば2月末に公開する予定だった。
ついでに言うと作りたかったブログテーマがある。
しかし、業務の忙しさに感けて、自分の場を作る事を疎かにしていたのだ。
それが出来ない仕事量だった、という事もある。
うん。そうなんだけどさ。結局、そんなの言い訳に過ぎないんだ。
この行動は日常生活を送る私自身と何一つ変わっていない。
私は結局、自分の事を大事に出来ていないのだな、なんて改めて自覚している。
人間性を捧げられる人間でいたかった。私は、何本かネジが欠落している自覚はあるけど、やっぱり人間性を捧げる事は無理なんだなぁ。とはいえど、人間らしくなれるか、と言われると足りてない部分があるんだよなぁ。
なんて。
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私がこのブログを始めたのには、
自分の場に閉じこもるんじゃなくて、少しだけ開かれた賃貸住宅で、自分にも誰かにも見てもらえる場を作りたかったからのように思っている。
ブログを書く理由は、だいたい未来の自分に向けてで、たまに不特定多数の誰かだ。
そして、この場を消すのも余程の理由がない限り、しないだろうな〜なんて気持ち。
媒体を変えずにこうして1年以上、続いた。
続いた。それだけで素敵な事だ。
長く使えるものを使いたい。でも新しい物事を生み出したい。
それが私の根幹なのかもしれないな、と、この文章を綴りながら思ったのだ。
それに気づいただけでも良いんだよ。
人は気づいて失っていく。
気づいた事を幸せだと思おう。教えられた事を幸せだと思おう。
それだけできっと世界は優しくなるはずだから。
鈍刀
「大剣を持ってるのに、使い方が分からないんだね、クッラちゃんは。それとも自分の装備にさえ気がついてないような状態なのかな、今が。」
かつての人達になんとなく言われていた事。
直近の人達に改めて言われた事。
今までの物事を総括するかのように彼女は言い放つ。
「根っからのライター」と自ら言った彼女は、文鳥のように言葉を扱う二人の男の子を育てる母だ。生まれて数ヶ月の首が座った赤子を抱っこさせてもらった。初めて会ったのは、もう3年も前か。長い付き合いな人なんだろうな、と改めて思う。
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「あなたは太陽みたいだよ。ぽかぽかする。そしてスポンジなんだね〜なんでも吸収しちゃうんだ。」
かつてその人は言った。
年頃の娘さんを二人育てる母だ。震災を現地で経験した姿は、強く柔らかく気高く逞ましく。娘さんが美術系の高校に進学する時にアドバイスを求められた。「不得手な私が言うのもあれですが、どれだけ観れるかですよ、本当に。」なんて言う。
今は自分のスペースで、食べ事であり、物事を生み出す彼女は、ある種の見える人。いろんな世界と繋がってるんだろうなと思う。故にビーガンなんだろうなとも思う。
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最近いつも以上に"シュンシュン"とオノマトペが響き渡るように脳内で高速回転している。
スイッチの仕様を変えたのが良いのか、何かに一極集中せずにどれかが疎かになる現象は、少しずつ、本当に少しずつだけど改善されている。*1
動く分、立ち止まる時間は確保しないといけない。無理矢理にでも。動き続けたら見える物もある分、失う物あるのだから。ギブアンドテイクは変わらない摂理だ、きっと。
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「今の世の中は情報に溢れてるんです。探せば出てくる。だからこそ、『やる』か『やらない』かのどちらかなんです。そしてこれが僕の『やった』結果ですね。」
とあるオーナーは意気揚々と言った。そのお店の内装も外装も全て1人で手がけられている。リノベ、DIY、1人で全てするなんて、相当な気力と体力がいるだろう。彼はそれを3年かけてやったのだ。店の名前や料理より内装外装を語る口は饒舌だった。
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私の装備は、どうにも、「鈍刀」のようだ。
大きさはまだ分かっていないんだけど、鈍らなのは分かる。
元々は怠惰な人間だ。気が緩むと一気に底辺に墜ちる事ぐらい、自分が一番分かってる。
だからこそ、振り回しては見るものの、上手く扱えずだんだん鈍らになっているようだ。
うーむ。このままじゃ周りにも余波があるし、自分自身も装備を理解しないまま生きるのは良くないなぁ、と。
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「装備が分からない?じゃあ、人に聞いてみると言いよ。友達でも、会社の人でも。自分の事は他人が教えてくれるよ。自分を決めるのは自分でもあり、他人なんだから。」
私の装備は何なのかな。この「鈍刀」の正体は何かな。
理解する事から始めて、そして磨き上げたい。
何もしないままでは、いつまでも「鈍刀」なのだ。
ならば、『やる』。やって、「鈍刀」と向き合おう。正体が分かってから、より磨き上げるように道具を揃えよう。
いつだって自分との対話も脳内会議も必要だ。そして、それをしてから周りにも開くのだ。内で滞っていてはならない。相互関係、循環するからこそ、次の何かが見えてくるのだ。その方がいろいろと健全でより良い方向に進む。そういう事だ。