「とりあえず『かこう』。『かく』とスッキリするからさ。」
先週末に友人に呼び出されて、そう言われた。
彼女は、自分の手帳を見せ、ノートを取り出してちぎり、私に強制的にペンを持たせて、方眼紙に『かけ』と言った。
「"ぴょん"はさ、工夫するのは得意でしょ。出来るんだから、まずやってみないと。」
暗示に掛けられたように『かく』。
そう。本当にすっきりした。
彼女からの呼び出しを機に、私は久しぶりに手帳を購入し、筆記用具と手記用のミニノートを新調した。
ここ6,7年のタスク管理は、8-9割がPCとスマホでの管理だったけれど、手帳への記入も取り入れて、その割合を変えてみる事にする。
手記用のミニノートは、PCやスマホが使えない状況下でイベントや思った事を手記していたが、使い方を変えてみる事にする。左捲りを仕事用、右捲りを日常用に。とりとめない事、やらねばいけない事を全てひとまとめにするのだ。コピー用紙の裏に書くのは、もちろん好きだ。ただ情報が乱立しては意味がない。このノートは、そんな気持ちにさせてくれる。だから質が良く、飽きが来ないデザインを選んだつもりだ。
運気を変えるには、習慣を変える事。
だから、引っ越しが一番手っ取り早い。
生憎、引っ越しをするような時間と余裕はなく。
だからこそ、日々の習慣を整えていく。今、明らかに足りていないのは、そこだなぁ、と思う。
年々北欧グッズ、特にスウェーデングッズが増えてくる。写真のは、フィンランド製のカレンダーが写ってるんだけど。
春だから新調しようと思ったバッグもスウェーデン製だ。
まだまだ行きたい国があるんだけど、スウェーデンは五本の指に入る。
スウェーデンの図書館に行きたい。一面の本を見たい。読めなくても良い。その土地のタイポグラフィを感じたいのだ、私は。
ストックホルムは、水の都だ。
どうしても行きたくて行ってしまったベネチアも水の都。
ならばこそ、私はスウェーデンに行くまで死ねぬな、なんて思う。
まだ終わっていないけれど、3月はジェットコースターに乗っていた。
普段はプラスとマイナスにぎゅんぎゅん行って、辛いけど楽しい!!、という状況だったのだけど、これでもかというほど、マイナス。
定期的に突っ込んだり飛び降りたい、っていう衝動があるんだけど、この1ヶ月は慢性的に続いてしまって、ある意味褒めてる。
バッカじゃないの、自分、って。
何かの占いか何かで
11 月 2 日 生まれは、28歳前後に人生の岐路に立たされ、大きな方向転換を迫られます。
って見たわけで。
今年が始まって、3ヶ月も終わるんだけど、印象に残るトピックスとしては、知人のタロット占いお姉さんに
- 海外旅行に行くのは危険。
- 国内旅行はとっても良い。特に1日ぐらいの短期が良い。
- 昔やっていた事をもう1度する1年になるよ。
と言われて、まぁ物の見事に当たってるんです。疑ってたわけではないけど、「おぉ、ここまで当たる?」って。だから、海外は行かずに、国内を満喫してる。今、行くスポット、どこも外れてないので。
だから、
昔やっていた事の積み重ねのように、
朝も起きるし、ペンも筆もまた持つし、企て事を実行していく。
そして、
私自身をしっかり根本も含めて変えていかねばいけない。
で、
今は、大きなチャンスであると。そうでしかないんだなぁ。
ピストルを鳴らしまくると収集がつかなくなるのは重々承知で、天才バカボンに出てくるお巡りさんのようになっちゃうのもどうかと思う。
けれども、面白そうだから鳴らしてるのであって、それは昔も今も未来も変わらない。
それだけは、ここに書き残しておく。
まずは、それだけで、それから。
「とりあえず『かこう』。『かく』とスッキリするからさ。」
可愛いxxxxxには旅をさせろ
「『七つまでは神のうち』って言葉があるんだけれど、その数字は人によって違うと思うのね。彼女は確かに私の娘だけれど、自分の生き写しとかではなく、独立した個人として見てるんだけど。そのきっかけで、『あぁ、この子は、いや、この人は"人"になったんだなぁ』って思ってしまったのよ。彼女は彼女の生き方を、人生を歩むんだなぁ、って」
私は、旅の終わりにそんな現場に立ち会う。
*****
「家族旅行っぽくて楽しかったわ。また明日から、もうひと頑張りだね。」
旅の終わりに、母からそんなメールが来た。
弟の卒業式を見に行こうと思ったのは、「もう何回会えるか分かんないなぁ」、なんて思ってしまったから。
ちょうど3連休だし、京都にいても、人が多いだけだ。少し気分を変えようと、両親に同行する事にした。
母だけ来るのかと思ったら父も一緒で。
弟は自転車で迎えに来てくれて。
なんだか血筋を感じて。
「結果的に家族旅行になったね。」なんて。
雪だるま方式でモノゴトは膨れていく。
両手で数えるぐらいしか家族旅行なんてなくて、過去に出来なかった事を今出来ているようで、両親が、より歳をとる前に4人で行動出来て良かったなって、なんてしみじみ思ってて。
各々、自分勝手なんだけど、面白い4人で一緒に家族として過ごせて良かったね、って。
「おめでとう」と「おつかれさま」と「また前を向いて頑張りましょう」と「わずかな時間を楽しみましょう」と。
その1日にも満たない僅かな中で、いろんな事を感じてしまったのだ。
*****
「これあげるよ、+++++ちゃん。何回か読んじゃってるけど面白いんだ。このまま本棚にいれとくより、これから物語に出会って行くべきな君が読んだ方が良いと思って。」
私が人に本を渡すのは、貸すよりあげるなんて、自分でも何なんだろ、と思うのだけれど。
私は確かに、「この本には"旅"をしてもらいたいなぁ」と思った。だからこの本を、15歳になろうとする少女にあげたのだろう。
これから出会うかもしれない、もしかしたら出会わないかもしれない。それでも出会って欲しいなぁ、と思う。
彼女は「新学期からの朝読の本にする!ありがとう!!」と満面の笑みを浮かべる。
未来の女優の中で「本をくれたお姉ちゃん」とでも記憶していただければ幸いだ。
私はこんなに真っ直ぐ14歳は見た事がない。自分が彼女と同じ年齢の時、こんなにしっかりしていただろうか。否、だから今の私なのだ。
*****
確か10歳ぐらいからか。
私は、「子供」と書くのが嫌になった。
国語辞典や漢字辞典をひくと、「供」の意味を知る。
"子を供える"、その響きがとても嫌だった。
父親に「何故、子を供えるのか。私達は供えものなのか。」と聞いた記憶がある。
彼はなんと答えただろうか。だけど、「書きたくないなら、書かなくて良い。意味を知ったなら尚更そうだ。」というような答えだったように思う。
それから私は、「子ども」と表記するようにしている。意味を知ってるから。
「子」は一つの人格だ。
親が提供する供えものでは決してない。
だからこそ、今を生きるべきなんだと。
親に触れた2日間だからこそ、余計に思うのかもしれない。
*****
輪廻は信じない、確かなる今生の私よ
許せ、これでもう手を打つしかないんだ
「自分が分からない?じゃあ周りに聞いてみれば良いよ。」
「それがさ、本当の自分な時もあるんだよ。自分が見えてない時こそ、篭るんじゃなくて、周りの意見を聞く事も大切な事なんだと思うよ。」
と目の前の彼女は、生まれた赤子に授乳しながら、私に言っていた。
彼女は私にとっては、少し年上の快活なお姉さんで。
乳呑み子にとっては、かけがえのない母である。
私は裏方でコソコソしていた方が良いと思っていて、
でも周りからの評価はそうじゃなくて。
何故コソコソが良いか、って言うと、
モニタールームでニヤニヤしているのが好きだから。
そのベースは、根底は、一生変わらないと思うのだ。
ただ、ステージを変えろと、覚悟を決めろと言われ続けてきていて。
自分の中で向き合ってたけど、対面してたけど、ずっと見て見ぬ振りをして。
「理想と現実のギャップが埋まりつつあると思うんですよ。ようやく?やっと??」
私は、1ヶ月前に、ふと会話の中で、こんな言葉を漏らした。
1ヶ月後の今、口からポツリと言葉にしていたものの形がようやく見えて、手のひらには鍵のような何かがあるような気がする。
まだ形は歪で、何にハマるんだろう、と自身でさえ思う。
錬磨していくのか、合う何かを見つけるのか。
何を開くのか。何のアクセルを吹かすのか。
もう分からない、って言ってられない。
分岐点は多く作るものでないし、干渉し過ぎてはいけない。
自分の答えは自然の摂理の中で見つけて行こう、って思うんだ。
指輪を身につけて、円を描いて、空間を時空を歪めてはならぬ、と。
ショートカットな代償は何かできっと来ちゃうんだから。
物事は等価交換なのだから。
ならば、後は、気のもちようで。
この2組がコラボするとか、高校生の私が知ったら、死んでる。
ちなみにRIP SLYMEを好きだと言うと100%驚かれて、「ぇ、誰が好きなの?」って聞かれるんですけど、「5人全員最高だけど、あえて選ぶならFUMIYAです。」ってテンプレートのように答えてます。以上です。
と、言いたいところだけど、他にも良いコラボがあるので、貼っておきます。
この人達のおかげで、私の音楽知識とグラフィック知識と映像作家知識が爆発的に増えたので、何が起こるか分からないんですよ、人は。