最近思う事ランダムメモ
- 「過去」と「今」と「未来」に優劣はなく、三者が仲良く肩を組み合うのが理想。
- 「動」 = 連続した「静」。「静」は止まっているのでは無く、「動」への布石。「静」の構図が美しくなければ、「動」もまた美しくない。
- 「静」は止まっている状態ではない。真の止まるとは、この世からいなくなる時だろう。それ以外は、どこかが「動」いているのだから。
- 継承システムは、物質のみでしか働かない。気持ちや思考の継承システムは、対話でしか働かない。
- 「あの時」は、もう二度と来ない。「今」しか来ない。ただ、故人に問いたかった「あの事」というものもある。
- 物語は、誰もが主役であり、誰もが脇役である。主役だけ、脇役だけ、この役だけを演じる、なんて存在しない。
- 「マイルストーン」をどこに置いていくか。記憶の「マイルストーン」に何を刻みつけていくのか。
- 「記録」を助けるための「記憶」があり、「記憶」を助けるための「記録」がある。
- やるべきは、「今」を認めていく事。過ぎた「過去」は動かない。「未来」を動かすためには、「今」の布石をどこに打つか。
- 「待つ」という行為を「無駄」だと捉える事は、いかがなものか。その時間分、本が読めるし、誰かと会話を弾ませる事も出来るじゃない。せっかちな父とマイペースな母を見て、よくそう思う。
- half full or half empty
- 誤手だったとして、それを誤りと捉えず、トリッキーな打開策だと捉えた事はあったかい。
- 年を重ねる事を「老いる」と表さないで欲しい。人は何歳でも、少年少女。年を重ねた「今」を生き、たまに「逆行」して生きる。
- どの世代にも同じ目線を持って接してみると、普段気付かない事がわんさかわんさか。
- 古きを知り新しきを知れば、新しきを知り古きを知る。
- 「ありがとうございます」「いただきます」「ごちそうさまでした」は必ず言いたい。言えない?言いましょう
- UI・UXを少しかじって、全ての物事が人に伝わるのが正解なんだろうかと思う。全ての物事に余地と余白がないと、自分の思考も妄想も働かない。感知して、思索する事も出来ない。そうだとしても、goodとbudが存在する世の中だ。
- 世界をモノクロームに捉えたとする。そこに濃淡を感じる事が出来れば、その世界は単一なものではない。
- 容姿の好みはあるんだけど、何があっても、どんな顔になったとしても、とびきりの笑顔が出来る人は、どうあがいても強い。
- 吃ったり、躊躇する事もあるんだけど、それを「気持ち悪い」で一掃してしまって無かった事にする人間だけにはなりたくないものだ。待ってるから形にしてみなと、今、目の前で頑張るあなた/自分にもう一人の私が呟く。
- 「点」の置き方、数が少ないとしても、それを紡ぐ、繋ぐ「線」の数や引き方でどうにでもなるし、逆もまた然り。
- 一つの世界で留まるのはつまらない事だが、多数の世界を行き来し過ぎるのもまたしんどい。身に携える「軸」は何か。どう錬磨していくか。
- 世の中は等価交換とはいったものだが、あげたいものなり、目の前の人がニヤニヤしそうなものを知っているのなら、あげれば良いじゃない。その気持ちすら、何かと交換してしまったのかい。
- その状況を「面白い」と捉えられるのは、ある種の才能で、その人にしか出来ないのかもしれない。
- 「付かぬ事をお聞きしますが、その言葉は誰のためのもので?」と問われたら、「あなたであり、過去の自分に向けて」と私は言うのであろう。
- 生きている感覚が無いのなら、実感が出来るフィールドに移動しよう。日常的に無理なら、その一瞬を生み出せる時間を確保しよう。確保する余裕が無いなら、無理やり与えてやる。
- "生きている時間より死んでいる時間の方が長い。今、同じ時を生きている事に感謝すべきだ。" えぇ、その通りなんです。長い輪廻の中で我々は、出会いと別れを繰り返し、学んで忘れていく。
- 一番好きな病院は眼科。何も無い、枠のメガネ。レンズを重ねる。自分のピントが合っていく感覚。改造されている気分になるのだけど、自分という「軸」にいろんなレイヤーやらフィルターが重なって、「自分」が出来ていく。それは全ての物事に関しても同じ事が言えるよね、ってそんな事を大量に並んだレンズを見ながら考えた。
- 認める行為が全てではない。認めたら認めっぱなしだ。認めた上で「じゃあこれはどう?」なんて提案なり質問出来たら、おっ、ってなる。それだけ。
- 「最高」を「語彙力がない」で片付けないで欲しい。だって「最高」だったんだもん。その「最高」をどう咀嚼するかは自分自信なんだけど。「最高」だったんだなぁ、と一先ず感じて欲しい。
- "「バベル」は、「混乱(バラル)が語源」"と知る。言葉=精神=物の考え方=文化=民族と統一された世界は、神の怒りを買うらしい。個人的にはその統一は吐き気がするからやめてほしい。十人十色だから人なのに。
- 無闇矢鱈に買うなんてナンセンスだ。本当に必要なものには巡り会えるから、安心して待てば良い。ただ、それに会うための”目”は錬磨しておかなければいけないのだけどね。
- この8年ほど、同じ色を身につけている。それを人は「オレンジ」というけれども、私の中では「朱色」。黄味を帯びた赤色。その色は幼い頃から自分の中にある色で、切っても切れないのは、白黒の中に朱があったからだろう。
- 真実も誠実も優しさも正しさも、自らの口に出しては全く意味がないのだよ。陳腐になる。そうだと感じるのは、目の前にいる誰かで、あなたが自ら鼓舞するものでは決してない。素敵な言葉は、使い方を間違えないように。それが正しいと判断するのは、自分自身なので、自分のものさしを磨いていけば、大丈夫だから。
- 過去の記憶から新しいものを想像するんだから、見ていて飽きない人はいる。そして、その血筋が入ってるのだから、余地はあるってもんだよ。
- 「HRT」という言葉を知った。謙虚(Humility)、尊敬(Respect)、信頼(Trust)で「HRT」。これを知れたのも「関係」のたまものだ。これを教えてくれた人とは、出会って1年しか経ってない。「関係」は「時間」を超える。与えるものでもなく、奪うものでもない。そこでしか紡がれないものだから。
過去と今と未来と #0
...という頭にもやもやしたものを数日中にまとめたいです。
...という決意も込めて記します。
モノクロームとカラフル
ボールペンを持つ。
気がつくと絵が出来上がる。
「下書きなしで、よくここまで描けるようになったなぁ」
と過去の自分と比べて感心してる。
ボールペン一発書きは迷いがないのだ。
ちまちまと直線を引き続ける事もまた楽しい。
心は無となる。これこそが無心なのか。
スキャナで取り込む。
白黒でも良いのだけれど。
さて、どうしようか。
お互いに反発し合わないように色を重ねてみる。
少しサイケデリックだなぁ。
左手に薬みたいなカプセルを持たせた意義が生まれてきた。
お遊びなので、ここでやめる。
メインの白黒のレイヤーを非表示にしてみる。
そこにはカラフルな世界が広がっている。
「これはこれで面白いなぁ」
と思う。
そして、それは日常でも一緒だ。
白黒の世界だとしても、視点を変えれば数多の色で世界は溢れている。
白黒だと感じているのは、自分の視点が狭くなっているからだ。
その視点を変えるのは、自分や他人の無理強いや助言ではない。
自身の「気づき」と「行動」だ。
無理強いや助言も「気づき」の一つでしかない。
「気づき」は自分の中で目から鱗のような状態が望ましい。
そして「気づく」だけでなく、「行動」をするという行為が何より大事なのだ。
動かなければ何も始まらない。
白いキャンバスに黒い線を引く。
その上から朱色で正す。
その所作が、空間が、平面が、行為が、美しいと思った。
だから、これらの色が一番好きなのだなぁ、とも思う。
数多の色を選ぶか。
自分だけの色を選ぶか。
それもまた自身の「気づき / モノクローム」と「行動 / カラフル」だ。