もくもく金木犀
今年見たサイトの中で良いなと思っているサイトだ。
誕生花をポール・コックスのイラストを使い可愛くアニメーションが成されている。
全体的に可愛らしく細部にまでこだわり、見ていて飽きない。
誕生日の診断ものという事で、私は自分の誕生日である「11月2日」をクリックする。
そう、金木犀。
「11月2日」といえば、セイタカアワダチソウやルピナスが取り上げられるのだが、ここでは金木犀。私の好きな花だ。
好感が持てるな〜、と思い、綴られた文章を読む。
頭の良いあなたに必要なのは、湧きでた感情に素直になること。真実が何かを理解しているのだから、積極的に。
うるへ〜〜〜、なんて。
頭が良いとは思っていないが、積極的に、はそうなのかもしれない。
そうだよね、とあの甘い香りがどこかでするような気持ちになった。それだけだった。
強い感受性と感情の乖離
ひとの言葉に傷つきやすい人へ pic.twitter.com/itidOvjZVy
— オリタケイ (@Oritakeikou) 2017年10月2日
最近激しく同意したツイートがこれだ。
今もガツンと言われてたまらずに涙が溢れてしまうのも、この年齢になって如何なものかと思うだが、最近はこういった事がようやく出来るようになってきた。
感情を優先して受け止めてしまう自分にとって、本質である真意を受け取るためには、こうした篩を意識的に行い、無意識に出来るようにならなければいけない。
今の会社に入ってから、ここでとてもつまづいて苦労していたが、やっと次にいけそうな気がしている。
けれども出来るようになればなるほど、自分の所在地がどこなんだか、とフワリとしたような気分になるのだ。
私は幼い時からとても泣き虫で、ビビリだし、恐い作品を見れば気持ち悪くなる、美しい物を見れば涙を流す。いわゆる感受性が強い人間なのだ。
未だに怒号が大苦手で、そういった人を目の前にすると、たちまち気分が悪くなる。
この感受性で助かった事もあれば、とても嫌な思い出も多い。
そういった人間が意識的に感情を篩をかけるようになると、自分の感情が乖離しているような錯覚になるのだ。
障害に陥るほどのレベルでは無いし症状になっているわけではないが、自分が自分では無いような。今まで連れ添った自分を否定しているような。
そんな錯覚なのだ。
何事もほどほどが良いものであるが、私の持つそれは、良しとしない。
「クラちゃんの本質は変わらないと思う。だって出会った頃から変わってないもの。だからこそ、歳相応のスキルを身につけなきゃいけないんだよ。」
と面談で社長に言われた言葉が、この文章を書いている事によって、上手く当てはまるものになった。そう思うのだ。
これからの1年
記憶と記録を何らかの形で残さなければいけない。
公にするのは、来年以降の話になるかもしれないけれど、それでも綴っておかなければならない。
書く媒体をどうすべきかは悩んでいるけれど、そこに工数をかけると、書く内容がお座なりになるので、おそらく別でブログを立ち上げて進めていきそうだ。
今、少しだけ、忙しさが落ち着いている。
今後ももしかすると、また同じ忙しさがやってきて、何も手につかない時間が多々訪れるかもしれない。
そうなったとしても、1年かけて向き合ってやり遂げなければいけない事がある。
この1年の立ち振る舞い、向き合い方が、今後の私の道筋を照らすものとなる。
そんな1年になるのだ。
今から紡ぐ繋がりがどんなゴールを描くのか。
まだまだ私も見えていないけれど、ワクワクしかしていない。
この1年、「遊び」心を忘れずに、逃げずに取り組んでいきたい。
そんな個人プロジェクトを始めていきます。
ようやく全ての歯車を噛み合わせる瞬間が来ました。
そんなところなのです。