元気で笑顔でいましょう
これまた
この土日は
いろんな場所に足を運び
いろんなものを見た
2年前に出会ったあの子と無病息災を祈りに。
彼女は来年京都を去る。もう決まってる事なのだ。
「あの日の出来事がなければ、今こんな事には、仲良くなっては無かったですよね。染み染みと。今日は本当に誘ってくれてありがとうございました。」
土用の丑の日なのに鰻屋に入れなくて、ちょっと良い寿司屋で鰻を食べながら、「酒豪で謙虚で素敵な彼女と出会えて、またこちらこそ仲良くしてもらえて、この子とは出会えて良かったなぁ。」、と思い、それを素直に言葉に出して、2人でカラオケに行って歌った。
偶然にもチケットを譲っていただき、マームとジプシーの「A-S」を見た。
いつもお世話になっている姐さんの娘さんは、立派な女優だった。 凛とした14歳。
数時間経った今も、この凄さをどうまとめたら良いのか分からず、とにかく思った事を脳内でまざまざ書き出している。
いろんな感情が交錯して自然と涙が溢れていたのだけど、演劇を通して自分を見つめ直していたのかもしれない。たくさんの登場人物と膨大に呼応する言葉の中に自分を投影するというか我が事に感じられるというか。とにかく凄い物を観た!って感情が先行してて、とりあえず落ち着けって感じしてる。
— KURA (@KurAruK) July 31, 2016
そう。あの世界観の中で自分を見つめ直していた。
そして作品内に没入し、涙を流したのは、きっと自分の無力さ、何も出来なさ、あの日を大切に出来なかった自分への後悔なのか。
本当にいろんな感情が交錯して、高まって、涙が溢れていたように思う。
キーポイントとなるシーンでは空間の深刻さも相まって、それが自分の中にひしひしと沁み渡り、涙はどうしても止まらない。
カーテンコールの拍手は鳴り止む事が無かった。
ただただ、凄い演劇を観た。
場所を移して、枚方のT-siteへ。
噂通りの一面本棚。京都よりも梅田よりも好きな場所かもしれない。
同行してくれた親友は大学時代からの付き合いなので、それこそ出会って9年目だ。
お互い好みの本のジャンルは知ってるので、自然と「これ良さそうだね。」「これ好きそうだよね、どう?」「これ仕事で使えそうやん。」みたいな会話になる。
私は彼女と話ながら、「新しい本屋に来る時はいつも家族で行ってたなぁ」、って事を思い出して(先日似たようなブログも書いたし)、久しぶりにホームシックになってしまった。
帰り際に花屋へ寄る。
気になっていた白い紫陽花と季節にぴったりのひまわりを買う。
紫陽花は亡き祖母が庭先で育てていたし、ひまわりは母方の実家に遊びに行くと畑に必ず咲いていて、亡き祖父が水彩画でスケッチしていたのを思い出した。
ちなみに花言葉は
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白い紫陽花:寛容
ひまわり:あなたを幸福にする、愛慕、崇拝
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あら、素敵ですね。
日々いろんな事が起こり、感情が忙しない時もあるのだけど、この2日で改めて思った事は、
「大切な人の前では元気で笑顔でいましょう。」
って事なんだと思う。
家族であれ、恋人であれ、友人であれ、その人の悲しい姿よりも、笑っていて元気な姿を、久しぶりに会って見せてくれた方がホッと安心して、また次に向かえるのだ。
なんだかそういう事の繰り返しなんだろうな、と思ってしまった。
このお盆は久しぶりに実家で過ごす。
THE田舎の夏休みをしようと思う。とにかく炎天下の砂丘でポケモンGOして、熱中症になる前に海に入って、梨ソフトクリーム食べたい。
夏が来る度に遊びに来ていた親戚の心理がようやく分かった気がする。
鳥取は一夏の休暇にはもってこいの田舎だ。
きっといろんな事を言われるのだろうけど、まぁそれでも、こっちでのいろんな物事を一旦忘れて、家族の前では元気で笑顔でいようと思う。
向こうも元気の無い姿を見ると心配になるだろうし、私自身かつてよりも堕ちているわけではなく、コントロール出来るようになってきたのだから。
「大切な人の前では元気で笑顔でいましょう。」
そして、ちゃんと「ありがとう」と伝える事が出来れば、素敵な事ですね。素直って大切。