kuraruk.blog

見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

3年目の備忘録

f:id:kuraruk:20161009165643j:image

行きつけのカフェというか酒場というか。そんなお店がある。

 

お店が出来る前のDIY工事から手伝っていたので、付き合いは3年以上になる。

天井の壁を剥がし、木材を水で洗い流して綺麗にして、トイレの壁に貼った。
コンクリートを練りこんで、壁にペタペタと埋め込んだ。
そんな手伝いをした。

そもそも祖父母に育てられて、町工場のような場所で育った人間だ。元々そういった作業は嫌いじゃないので、楽しみながらやった記憶がある。

 

この3年でいろいろな事があった。本当に。
私を含めてお店に関わる人達、全てが。

日々、変わり続ける人生を歩んでいる。
関係性なり会話が何かを物語る。

そして、新しくこの世に生まれた命達が年月を物語り、
「こうして歳を重ねていくんですね。」とポツリとつぶやいた発言に
周りが深く共感していった。

何度、妊婦のお腹を触り、何度、その命を抱いたっけな。

 

昔、常連の誰かが
「『ただいま』と『おかえり』が言える場所だよね。僕達にとって。」
と言った。
自分の家ではなくて、近所で集まれる場所、ちょっとした親戚の家のような。

家族も何もない、自分で一から関係性を育んでてきた地で、こういった存在のお店があるのはありがたい。

 

自分の昔の記憶を辿ってみると、
父親が通っていた割烹料理屋があって、結婚後も母親を巻き込み、私達子供が生まれて、いつの間にか家族ぐるみの付き合いになっていたらしい。

"らしい"というのは、私がその割烹料理屋にいた記憶はないからだ。
物心ついたときには、オーナーであり板前である主人が体を壊してしまい、お店はなくなってしまった。

会話の中で割烹料理屋の名前は聞くが、料理の味も空間の雰囲気も思い出せない。
リーズナブルだけれども割烹料理屋という事で、数えるほどしか連れて行ってもらった事がないのだ。だから、名前しか記憶にない。

でも何故だか、主人と常連さん達が、我が家に遊びに来た事があり、その場にいたおじさんやおばさん、同世代の自分と同じような子供達が非常に個性的だった。

10歳の時の私は何故だか知らないけれど泣かされた。

そんな記憶がある。

 

今でも、その割烹料理屋の常連同士のコミュニティやら付き合いはあるようで、父は年に1,2回はそのメンバーで飲んでいるようだ。
定年を目前にしたおじさん達は、若々しい少年達のよう。

血は争えないというか、つくづくDNAは受け継がれているんだな、と思う。
父にとって、そういう場所があったように、私にとっても、そういう場所があるんだな、と。

もしも、この関係性を断ったり、状況が変わり疎遠になったとしても、
今後、長い人生の中で、私にとって大切な場所である事は変わらないのだろうし、
この関係性は大事にしていきたいんだなぁ、と思う。

 

私はこの場所で教えられた事がたくさんあり、今後も教えられるんだと思う。
そして気づいていくんだと思う。
私にとっては、そんな場所。

f:id:kuraruk:20161009165808j:image

f:id:kuraruk:20161009195631p:plain

まるまる包み込まれてる。そんな感じである。