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見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

捨てるものと拾うもの

打ち合わせ兼飲み会に遅れて到着する。

遅れた理由は、どうしてもその日中に対応しないといけない修正を片付けていたからだ。ここで私が投げ出してしまうと、いろんな人が困る。スケジュールが詰まっている。師走と年度末が一気に来ている気がする。これはまだ序章だ。まぁそれで笑うしかない自分もいるのだけど、それより何より。私に仕事を依頼してくれた、目の前の同い年ディレクターを裏切ることになる。これはNG。自分のためにも彼女のためにも仕事を片付ける。テキパキ。

打ち合わせ兼飲み会メンバーには、事前に遅れる旨を説明していた。堂々と遅れて、店に入る。片付けてきたのだから、ある意味清々しい。

 

席には、ビールが置いてあった。

「ありがとうございます。すみません、今日飲めないんですよ。申し訳ない。」

酒好きの私を考慮しての事だろう。既に飲み物が用意されていたのは、嬉しかった。でも、如何せん体調が優れていない。「ドクターストップなんですよ〜笑」と濁すけれど、ちゃんと診察を受けたわけではない。ただの、過去の自身の経験に基づく判断だ。これ以上、自分を苦しめるような事を自分でしてはいけない。甘やかすのもどうかとは思うが。

 

私以外のメンバーは、一回り上のお兄さん、お姉さんと、少し年上のお姉さんで。皆さん、結婚を経験している。そのうち二人は、お子さんもいて、日々子育てに奮闘している身だ。

「何の話をしてたんですか?」

私はこの数年で飲めるようになったジンジャーエールを飲みながら聞いた。炭酸が美味しく飲めるようになったのも、この2,3年の話なのだ。ジンジャーエールは甘口が良い。

「『捨てるものと拾うもの』の話だよ。」
「ほぅほぅ?」

付き合ったり、結婚したり、子どもを育てる中で、自分の中で捨てるものが増えていく。自分だけの時間というのは取る事が難しくなる。けれど年月を重ねると、少しずつ余裕が出てきて、捨てたものを拾うタイミングがある。でも捨てたものを全て拾うんじゃなくて、どこかで取捨選択している。その中で拾ったものは、やはり自分の中では大切なもので必要なものなんだなぁ、って思うんだよね。誰かといる時間も大切だし学ぶことも多いけど、それと同時に自分も篩にかけられている感覚になるんだよね。何を選ぶのかって。

 

素面だった事もあり、自分の中でゆっくり咀嚼しながら話を聞いていた。

とも思っていたけど、どうなんだろう。まだ篩にかけられたくないんだろうか。急に来るのが怖いんだろう。傷つくのが怖いんだろう。まだまだ臆病だなぁ、なんて思う。でも来るべき時が来れば、逃げずに向き合いたいのだ。これは、逃げるは恥だが役に立つ、とは少し違う。あれは、逃げているようで逃げてない。向き合っている物語だ。

 

アラサーだから心持ちが変わってきたのもあるし、アラサーってもっと大人だと思ってた。いざ自分がなってみると、ただの等身大の自分だ。今を生きている私自身でしかない。でもそれで良いと思う。何より一番大事なのは、素直でいることだ。それがいろんな物事のヒントである。

「子どもの純粋さを見てると、俺は大人なんだなぁって思うんだよ。実は子どもから学ぶべき事がたくさんあるんだ。素直が一番良いってね。問われているよ、日々。難しいけどね、こればっかりは重く受け止めつつ、楽しく返すのが一番だと思ってる。」

20代後半なんて無敵じゃない。今しか出来ない、今を楽しみたい。