鉛筆を持ったら人の話を聞きながらかきたい
手が上手く動かせなかったり体調が不安定になってくると実家にいた頃を思い出す。
鉛筆を持てば、授業のメモを取りつつ、ノートの片隅に必ずイラストを描く。
それは今も変わらなくて、講演会を聴く立場だと、話が面白かれどうあれ、周りを素描してる。
私のこの習性は、いつから始まったんだろう。
何歳で感覚が止まってるんだろう。
メモをとる道具はだいたいPCで、タイピングをしているが、たまに手帖にひたすらメモを取る時がある。
そんな時は絵を描きたい。文字も書きたい。
この右手はいつ無くなるか、動かなくなるか分からない。
この視界は視力が落ち過ぎると、いつか見えなくなるかもしれない。
だったら、原点に戻りたくなる。文字でも絵でも良い。かきたくなる。
手帖とは、心覚えを書き入れるための、小さな帳面。
私は感覚が20歳で止まっているように思う。
アラサーだけど、そう見られる時もあれば、そう見られない時もある。
自身が童顔なのか、よくわからないけど、「いや、クラちゃん、童顔でしょ」と美形の友人に言われたので、そういう事にする。
感覚が幼いなら、幼い感覚を忘れずに、日常のように鉛筆を持ってかくのが一番良い気がしてきた。
忘れてた何かをゆっくり取り戻してる気がする。それだけ。
中学の時、卓球部だった。部活でスポーツをしたのは、その3年だけだった。卓球は手が上手く動かせなくなっても全身運動、いや、手首の動きでなんとか出来た。スポーツが出来ない私でも、楽しく出来たスポーツ。たまにやると、身体も頭も使ってめちゃ楽しい。
イラストのポージングは、伊藤美誠選手から。
1日10分でも良いからドローイングしときたい。それだけで心持ちがより穏やかになる気がする。些細で何気ない10分は素晴らしいものなのかもしれない。