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見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

「バント」からの「フルスイング」

WBCが始まった。
今でこそ必要な時以外は、全くテレビを見なくなったが、元はと言えば、私は24時間THE・テレビっ子であった。
昨日の夜のニュースを見て、球場の勢いが懐かしく思えた。
知り合いの元高校球児がinstagramで現地観戦の様子を投稿していて、「兄さん、良い席で観過ぎでしょ...」なんて思ってしまう。

 

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亡き祖父は、自身がバスケの監督をしていた事もあり、ありとあらゆるスポーツを見る事が好きだった。おそらくルールを把握して、どの選手を起用するか、自分なりの采配を考えるのが好きだったんだろう。亡くなった今となっては、それも聞けず。ただ中学生だった当時の私が聞ける技量も無かったな、と思う。

 

幼少期を祖父母に育てられた身としては、晩御飯を食べながら、一緒にセ・リーグの試合を見ていたので、野球の知識はホイホイとついてくる。オリンピックの時期は、ありとあらゆるスポーツを見るので、私は選手の絵をチラシの裏に描きながら、祖父に「あれは何?何を争うの??どうしたら点が入るの???」などと聞きまくっていたものだ。おかげでスポーツ選手のフォームを描くのは上手いとは言えないが、今でも好きだ。

 

4つ下の弟は、気づけばパ・リーグのファンになっていた。やたらとホークス選手に詳しくなっていた。「ぇ。どうして若鷹軍団なん?」と過去に理由を聞いたのだけれど、もう15年も前の話なので、お互いに覚えていないだろう。でも、当時、鳥取市内には、ダイエーがあったので、そこからじゃないかな、なんて思う。ダイエーホークスでしたからね、当時。

 

家族が野球部に所属していたわけではないけれど、家にバットとボールとグラブはあって。早く帰った日や気分転換がてらに、よく弟や父と、キャッチボールやバッティングをしたものだ。
自分で言うのもあれなんだけど、私はスゴく運動音痴なんです。まともに出来るスポーツは、卓球だけ。本当に。
キャッチボールやバッティングに付き合うのは良いんだけど、遠投は出来ない、皮膚のおかげでグラブは上手く捌けない、バットを振っても空振りだ。
でも何故か、ボールを投げるのも、バットを振るのも楽しくて、出来ないなりに弟と父に付き合ってもらっていたな、なんて思う。

 


そんな私だが、ある行動を知って、少し気が晴れたのだ。
それは「バント」という存在。

 

“バント職人"と呼ばれる川相選手がいた。試合で登場する度に「きた!川相だ!!!」なんて興奮してしまっていた。
「バント」とは、犠打だ。自分を犠牲にして、走者を次の塁に進塁させる。川相選手はその名手である。
仕事を確実にこなし、ベンチへ戻る。その哀愁漂う姿をとてもカッコイイと思っている。

 

私は安易な気持ちで「バント」をやってみることにした。
「バント」はバットを振らずとも、球がバッドに当たる確率が高い。
バッターボックスに立つ意味があるのだ。チームに貢献出来ない選手は、出させてもらえないのが、世の常でしょう。「バント」をする事でチームに貢献出来るのであれば、それは一つの価値なのだ。

 

めちゃくちゃ「バント」が上手くなったわけではないけれど、「バント」は出来るようになった口。「バント」から「フルスイング」して、それが二遊間を超えると、それはそれでトリッキーで楽しい事もしている。これは私しか知らない世界だとも思う。

 

このプレイスタイルは、他のスポーツでもそうだな、と思うところがある。私は卓球では、カットマンと呼ばれるスタイルで闘う。有名どころで言うと、ピンポンのスマイル、のやり方だ。
卓球は撃ち合うスポーツなんだけれど、カットマンは、すぐに返さない。一呼吸置いて、球を掬うように、相手のフィールドに持っていく。どちらかが折れるまでのシーソーゲームなんだけど、時にはトリッキーにスマッシュもする。

 

私は、トリッキーな物事が好きなのかもしれない。あぁ、なるほどな。

 

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なんで、こんな文章を綴ってしまったか、というと、いろいろ思うところがあって。

"あぁ、私はバッターボックスに立たせてもらってるのに、「バント」すら出来ていなかったのか。"

と。気づいたから。

 


この記事を読んで、「思いっきり、バットを振れる環境に身をおくことが大事」という箇所がひっかかって。
「確かにそうなんだけど、じゃあ、自分は思いっきり、バットを振れる気持ちでいるのか???」
とも思った。

 

私は、今、気持ち的に思いっきり、バットを振れるメンタリティでは無く。そうしてしまったのも、自分だし、そこから脱するのも、自分。だと思っている。
うん。どんどん萎縮してしまって、潰れたり、這い上がったりを笑えるぐらいに繰り返している。メンタルは強くなんてなく、ただの紙だ。薄っぺらいので、やられてしまった方が、相手の気も晴れるから、もうやられる事に徹しても良いのでは、なんて。ただ、やられっぱなしは良くないので、打開策どうしよう、て考えてるけど、深淵にハマっていて。でもハマらせているのも、そこにいようとしているのも、自分だから、やっぱり質が悪い。
環境は大事な事だけれど、じゃあ自分がどうしたいか、という事柄は一生付きまとうのだ。重い覚悟は身を苦しめる事もあるけれど、覚悟はいるね。覚えて悟ろうよ。

 

で、WBCの流れからこの記事を読んで、この文章を書いてみて、

"あぁ、そうだ。私、「バント」が好きだったんだよね。出来たんだよね。"

って事を、思い出す事が出来た。

 


とりあえず「バント」からもう一度始めてみよう。
「フルスイング」は当てる確率が少ないから、たまにで。
降って当てれないなら、出来る確率が高い「バント」をしてみた方がバッターボックスにいる意味がある。
存在意義を成そうよ。君は頭数を埋めるだけの存在じゃないのだからさ。

 

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ちょうど昔描いた絵が上手い事、当てはまる事もあるんだね、と。