可愛いxxxxxには旅をさせろ
「『七つまでは神のうち』って言葉があるんだけれど、その数字は人によって違うと思うのね。彼女は確かに私の娘だけれど、自分の生き写しとかではなく、独立した個人として見てるんだけど。そのきっかけで、『あぁ、この子は、いや、この人は"人"になったんだなぁ』って思ってしまったのよ。彼女は彼女の生き方を、人生を歩むんだなぁ、って」
私は、旅の終わりにそんな現場に立ち会う。
*****
「家族旅行っぽくて楽しかったわ。また明日から、もうひと頑張りだね。」
旅の終わりに、母からそんなメールが来た。
弟の卒業式を見に行こうと思ったのは、「もう何回会えるか分かんないなぁ」、なんて思ってしまったから。
ちょうど3連休だし、京都にいても、人が多いだけだ。少し気分を変えようと、両親に同行する事にした。
母だけ来るのかと思ったら父も一緒で。
弟は自転車で迎えに来てくれて。
なんだか血筋を感じて。
「結果的に家族旅行になったね。」なんて。
雪だるま方式でモノゴトは膨れていく。
両手で数えるぐらいしか家族旅行なんてなくて、過去に出来なかった事を今出来ているようで、両親が、より歳をとる前に4人で行動出来て良かったなって、なんてしみじみ思ってて。
各々、自分勝手なんだけど、面白い4人で一緒に家族として過ごせて良かったね、って。
「おめでとう」と「おつかれさま」と「また前を向いて頑張りましょう」と「わずかな時間を楽しみましょう」と。
その1日にも満たない僅かな中で、いろんな事を感じてしまったのだ。
*****
「これあげるよ、+++++ちゃん。何回か読んじゃってるけど面白いんだ。このまま本棚にいれとくより、これから物語に出会って行くべきな君が読んだ方が良いと思って。」
私が人に本を渡すのは、貸すよりあげるなんて、自分でも何なんだろ、と思うのだけれど。
私は確かに、「この本には"旅"をしてもらいたいなぁ」と思った。だからこの本を、15歳になろうとする少女にあげたのだろう。
これから出会うかもしれない、もしかしたら出会わないかもしれない。それでも出会って欲しいなぁ、と思う。
彼女は「新学期からの朝読の本にする!ありがとう!!」と満面の笑みを浮かべる。
未来の女優の中で「本をくれたお姉ちゃん」とでも記憶していただければ幸いだ。
私はこんなに真っ直ぐ14歳は見た事がない。自分が彼女と同じ年齢の時、こんなにしっかりしていただろうか。否、だから今の私なのだ。
*****
確か10歳ぐらいからか。
私は、「子供」と書くのが嫌になった。
国語辞典や漢字辞典をひくと、「供」の意味を知る。
"子を供える"、その響きがとても嫌だった。
父親に「何故、子を供えるのか。私達は供えものなのか。」と聞いた記憶がある。
彼はなんと答えただろうか。だけど、「書きたくないなら、書かなくて良い。意味を知ったなら尚更そうだ。」というような答えだったように思う。
それから私は、「子ども」と表記するようにしている。意味を知ってるから。
「子」は一つの人格だ。
親が提供する供えものでは決してない。
だからこそ、今を生きるべきなんだと。
親に触れた2日間だからこそ、余計に思うのかもしれない。
*****
輪廻は信じない、確かなる今生の私よ
許せ、これでもう手を打つしかないんだ