kuraruk.blog

見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

「『記憶』と『記録』ってどう違うんだろうね。」「小さい時によく考えてたんだよね。『死んだら魂はどこに行くんだろうか』って。」

夢を見た。

 

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先週末に自分主催のイベントを二日続けて行った。
その直前に十数年前に亡くなった祖父が夢の中に出てきた。

祖父は大勢に囲まれていた。そして、その中から私を見ていた。
私は、職人としての祖父しか知らない。
監督でバスケットボーラーだった祖父を知らない。

祖父は、何かを投げた。
さすがに孫娘に鋼は投げないだろう。ナイフも投げられたら困る。
たぶんボールだ。
茶色いようなオレンジのようなバスケットボール。
たぶんというのは、投げられた瞬間に目が覚めたからだ。

「じぃちゃん!」
と声を出していた。
自分でもビックリして、すぐにiPhoneを立ち上げて、キーワードを検索していた。

 

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イベントが終わって二日酔いで死んでいる中、三度寝したタイミングで父親が出てきた。

たぶん父だ。
たぶんというのは、普段の父ではなく、作家としての父だったからだ。
幼少期にアトリエを覗き込んだ時に見た父。夢での彼は、若かった。
私の記憶の中にしかいない、若くて、今以上に弁がたつ父である。

今では持つ頻度も少なくなった大筆を握り、大判の和紙の上に立つ父。
白い世界に、黒い線を、言葉を走らせる。
そこにいるのは、全くもって同一人物とは思えない。
ただ、書くという行為に純粋な少年がそこにいた。

彼は無邪気に書き終えた後、その白と黒の平面に倒れ込み、そして飲み込まれてしまった。

「父さん!」
と声を出していた。
二日酔いがまだまだ酷かったけれど、ぼんやりとした目でiPhoneを立ち上げて、キーワードを検索していた。

 

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時たま、学園モノの夢を見る。今朝の話だ。

現実の自分が主役の時もあれば、架空のキャラクターに自分がなっている時もあるのだが、だいたいこの夢では自分も含めて、誰かが死ぬのだ。
そして、これは夢だと、どこかで認識しているのだ。

今回は架空のキャラクター。クラスメートと、漂流教室みたいな、サバイバル的な。
クラス内で派閥もあれば、裏切りも繰り返して、そして誰かが死んでいく。

自分が死んだ。だいたいは、ここで終わるんだろう。
でも、私の視点は、まだ生きている。
目の前でストーリーが動いている。これを夢だと認識している。
8mmフィルムに記録され続けている。映画を撮影する監督。

その視点が、霊体としての自分なのか、はたまた別キャラクターとしての自分のなのか。
未だに答えは出ていない。

 

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ただ、表題の件を、二日前に投げつけられた。
主体的な世から、オブジェクト指向の世へ。

夢は、私の不安を、希望を、妄想で、ゆっくりゆっくり咀嚼して練り込んでいく。
まだまだ面白いストーリーが見られそうだ。