kuraruk.blog

見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

モノクロームとカラフル

ボールペンを持つ。
気がつくと絵が出来上がる。

「下書きなしで、よくここまで描けるようになったなぁ」
と過去の自分と比べて感心してる。
ボールペン一発書きは迷いがないのだ。

ちまちまと直線を引き続ける事もまた楽しい。
心は無となる。これこそが無心なのか。

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スキャナで取り込む。
白黒でも良いのだけれど。

さて、どうしようか。

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お互いに反発し合わないように色を重ねてみる。

少しサイケデリックだなぁ。
左手に薬みたいなカプセルを持たせた意義が生まれてきた。

お遊びなので、ここでやめる。

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メインの白黒のレイヤーを非表示にしてみる。
そこにはカラフルな世界が広がっている。

「これはこれで面白いなぁ」
と思う。

そして、それは日常でも一緒だ。

白黒の世界だとしても、視点を変えれば数多の色で世界は溢れている。
白黒だと感じているのは、自分の視点が狭くなっているからだ。

その視点を変えるのは、自分や他人の無理強いや助言ではない。

自身の「気づき」と「行動」だ。

無理強いや助言も「気づき」の一つでしかない。
「気づき」は自分の中で目から鱗のような状態が望ましい。

そして「気づく」だけでなく、「行動」をするという行為が何より大事なのだ。
動かなければ何も始まらない。

白いキャンバスに黒い線を引く。
その上から朱色で正す。
その所作が、空間が、平面が、行為が、美しいと思った。
だから、これらの色が一番好きなのだなぁ、とも思う。

数多の色を選ぶか。
自分だけの色を選ぶか。
それもまた自身の「気づき / モノクローム」と「行動 / カラフル」だ。