諦めは本当に諦めてるのか
いろんな人のターニングポイントを聞くと
私の中で蓋をしていた「諦め」達がうごうごと蠢く。
私の中で「諦め」ていた大きな物事といえば、”留学”だ。
漠然と”留学”したい欲しかなく、言語能力の適正、学びたい分野は、未だに不透明だ。
ただ日本と違う土地で、いろんな価値観を知り、改めて自国の文化を見直したいし、いろんな人達と話してみたい。
そういった軸しかないのだ。
「諦め」が復活したのは、友達や知り合いが年内に海外移住を相次いで決めている事や、たまたま居合わせた席で聴いたこの話。
「私の母親は、15年前に離婚したんです。
彼女は当時40代だったんですけど、縁もゆかりもない国に行って。
そのまま移住して、向こうでパートナーも見つけて。
今は日本向けのビジネスをしているんですよ。
母親は専業主婦で、英語も何も出来なかったのに。
人って何歳になってもやろうと思えば出来るんですよね。
『ワーホリに行っておけば良かった。』と言ってる人達を何人も見ています。
口だけになってしまうなんてつまらない。
だから、私も年内に行こうと思ってるんです。」
なんて。ブラック企業で働いてて年始からニート生活をしている彼女は目をキラキラさせて言った。その言葉は、心臓をギュッと掴んだ。
そうだなぁ、そうだよなぁ。
って。
とは言いつつ、私は腰が重い人間だ。
すぐに行動する気はないし、まだやらなきゃいけない事がある。
ただタイムリミットがあるのも知ってるから、それまでに色々考えて、掴むべきものを掴んで良いのかな、なんて思う。
別に1年行くのが良いだなんて思ってない。私は数ヶ月短期集中の方が性に合ってるだろう。飽きたら場所がどこであれ、意味がない。
同じ人生などないし、ロールモデルがいないなら、自分の人生を送るべきだ、なんて。
風潮は飽きた、少しスピードが速い。から世界の真実が知りたい。
誰もが知ってるものなんか良いんだ、その仕組みが、裏側が知りたい。
そういう風にも思うんだ。
なんて。
最近改めて思い直したのは、出来合い作品だけでなく、そこに至るまでの過程や思考が大好き過ぎる。
だからこそ、作り手の現場が好きだし、ものを作る人達が好きだ。
日向が格別なのではなく、真に向けるスポットライトは日陰だね。
なんて。ね。
足枷になっているのは自分の過去だ。他はない。
掴める両手があるのなら、掴んでみた方が絶対楽しい。
知らないものにワクワク出来る人生でありたい。