kuraruk.blog

見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

血の繋がった他人に学ぶ事

6月は、血縁者に会う機会が多かった。
なんでもない日の実家の帰省に始まり、
以前から従兄と話に上がっていた日帰り旅行を弟と親戚達と共に行く。


京都にいない週末が多く、先日の週末に街をふらついてみると、
「ほんと...相変わらずどこにでもいるなぁ!」
「京都にいないものかと思ってたよ。いや〜フットワークが軽いね。」
なんて。

たまたま立ち寄った店で働いていた大学同期や接客中の知人に言われる。
褒められているような、そうじゃないような。これは褒められているんだろうか。

そんな日に、大きな本屋に寄ってみる。
三条のBALが改装されジュンク堂が無くなったとは言えど、リニューアル後に入った丸善書物の豊富さは、私の足をうめだンジョンへ向かわせる事はなくなった。
完結するのであれば、近場が一番良いものなので。


本屋や図書館が静かな場所だと感じた事はない。
あれは、ひしめく空間だ。

「手に取ってくれ!」とカバーのデザインで主張をし、
ページを捲るたびに、ベラベラと語りかけてくる。圧倒的な情報量を与えてくる。
個性の塊達が集まって騒いでる、そういう空間なのだ。
「今日はこうしないと」という少し強い意志がないと、移りめいてしまう。

とはいえ、2時間ほど滞在して7冊分買って帰る私に強い意志はあったのか、否か。

 

その中で、私にしては珍しく、絵本を買った。

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https://www.amazon.co.jp/ぼくのおじいちゃん-カタリーナ-ソブラル/dp/4877587608

早い話、パッケージ買いである。
表紙から垣間見える、キャラクターの可愛さ・配色センスの良さ、訳:松浦弥太郎
それだけで十分だ。


帰宅して、寝る前にパラパラとページを捲る。

絵本の楽しみ方はたくさんある。
普通に読むのはもちろんなんだけど、絵だけで楽しんでも良い。
添えられた言葉だけを楽しんでも、何往復しても、気になったページに急に立ち戻っても良い。
絵本だけじゃなくて、読書の楽しみ方って無限大。

その本は、そんな事を思い出させてくれる。
本の帯に松浦弥太郎さんのコメントが載っていた。

“おじいちゃんになること。それはどんどん素敵になることです。"


この本を読みながら、私は亡くなった2人の祖父を思い出していた。
2人とも早くに亡くなってしまい、まともに交流をしていたのは小学生の頃までなんだけど、絵本に出てくるライトさんに重なるような、そんな思いだった。

この年齢になって祖父達に聴きたかった事が山ほどある。

でも故人を追ってはいけない。先に進めないから。

 

たくさんの血の繋がりを感じた6月は、昔と今を繋げてくれた。

そしてこれからやっていく事の光が、道筋が見えてきた。

 

私は、もっと広い世界が知りたい。

大海を渡る術を得たい。

自分を壊し続けて、新しい私になっていきたい。

何歳だろうと。

 

根っこが見えた。

同じ血から見えるものがあった。

だから、無理せずコツコツとよじ登って良いんだ、作って良いんだ、そうだ。 


これを2017年上半期の最後の日に書くのもどうかと思うんだけど、これを持って上半期終了としよう。
明日から下半期。
さぁ、後は気流に乗る覚悟と行動だけだ。
まだ、この足の軽さを、絶やすつもりは、ない。

いつまでも若々しい羽根を持ち続けるために手入れを忘れてはいけない。