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見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

強い感受性と感情の乖離

 

最近激しく同意したツイートがこれだ。

今もガツンと言われてたまらずに涙が溢れてしまうのも、この年齢になって如何なものかと思うだが、最近はこういった事がようやく出来るようになってきた。
感情を優先して受け止めてしまう自分にとって、本質である真意を受け取るためには、こうした篩を意識的に行い、無意識に出来るようにならなければいけない。
今の会社に入ってから、ここでとてもつまづいて苦労していたが、やっと次にいけそうな気がしている。

けれども出来るようになればなるほど、自分の所在地がどこなんだか、とフワリとしたような気分になるのだ。


私は幼い時からとても泣き虫で、ビビリだし、恐い作品を見れば気持ち悪くなる、美しい物を見れば涙を流す。いわゆる感受性が強い人間なのだ。
未だに怒号が大苦手で、そういった人を目の前にすると、たちまち気分が悪くなる。
この感受性で助かった事もあれば、とても嫌な思い出も多い。

そういった人間が意識的に感情を篩をかけるようになると、自分の感情が乖離しているような錯覚になるのだ。
障害に陥るほどのレベルでは無いし症状になっているわけではないが、自分が自分では無いような。今まで連れ添った自分を否定しているような。
そんな錯覚なのだ。

何事もほどほどが良いものであるが、私の持つそれは、良しとしない。

「クラちゃんの本質は変わらないと思う。だって出会った頃から変わってないもの。だからこそ、歳相応のスキルを身につけなきゃいけないんだよ。」

と面談で社長に言われた言葉が、この文章を書いている事によって、上手く当てはまるものになった。そう思うのだ。