kuraruk.blog

見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

「それじゃあ、また帰るね。」

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私はそんな言葉を呟いた。
目の前の父は、「あぁ、分かった。待ってるな。」と変わらない調子で言った。
大阪で父と美術館に行き、別れ際に行った会話。

そんな言葉をふと、旅先で思い出した。
写真の夕暮れは、初めて訪れた東北の石巻で見たそれである。


***


私が大学進学する前、地元で18年間過ごしていた頃の話。
父の趣味といえば、専らギャラリーを巡る事。休日の日中は家におらず、1人、街を徘徊する。
美大受験を表明した15歳から3年間、私はたまに、父に同行して物を見続けた。

私の物の見方のベースは、彼の物の見方から来ており、彼から教わったとように思う。
美術品、工芸品、デザイン、プロダクトと千差万別問わず、地元で見れる限りの物を見ていた。こちらに出てきてから、より一層強く思うのが、地元で見れる物はやはり限られてくるという事だ。その限られた中で見るべき物を見ていたのだろうと思う。

父に「何故見るのか」と問うと「線の良さを知りたい。見なければ始まらない。」と返事が返ってくる。
ジャンルを問わない物の見方は、最終的に彼の作品の肥やしになるのだ。私が知りうる中で、彼はインプットを習慣というか、呼吸をするように出来ていた男である。

何故こんな話を綴ったかというと、先日、友人の友人(直接お会いした事はない)がとても良いブログを書いていたので、少し影響されたからだ。
個人的にとてもシャンとしました。是非、ご一読を。

 

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旅先で訪れた岩手県立美術館の館内写真。とても広くて素敵な場所だった。

「これは自分の趣味だわ」と自覚している1つとして、「美術館鑑賞」がある。
もちろん展示している内容を見る事が主目的ではあるが、その展示を告知するためのフライヤー・ポスター、展示構成、図録、関連グッズetc。そして美術館自体の建築、館内の導線、ギャラリーショップセレクトetc。それらを含めて「美術館鑑賞」だと思っている。
全部を知る事で、ここはこうなってるんだなぁ〜って考えるのが好きなのです。
パーツと全体を行ったり来たり。脳内をゆりかごみたいに揺らしながら、全部を味わうのが楽しいのです。


***


大筋が逸れたので戻す。


「それじゃあ、また帰るね。」

という言葉を吐いた後、遅めの夏休みを使い、日本の東を行き来して京都に戻ってきた。
今回の旅は、「遊び倒した」という言葉がまさにふさわしく。
どう「遊び倒した」かと聞かれると”人との会話、旅先での土地と体験の中で、学びと気づきが多く、楽しみながら遊べたんだ。しばらく出来ていなかった事を徹底的に出来たんだよ。”と返すんだろう。

そして、そんな言葉を今一番に伝えたいのは、父であり、母であり。地元に残した両親なのだ。
この旅は、ある種、自分のルーツに捧げた旅であり、両親へのリスペクトを込めた旅だったかもしれない。

仙台で、10年来付き合いのある一回り以上も年上のご夫妻のお宅に滞在した時、「あぁ、両親のこういう姿を後何回見れるのかな。」なんて思うのだ。
元々、予定があって、今週末に帰省する予定であったのだが、より一層両親が恋しくなる。

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帰省する度に、どんどん老いる両親を見る。
一緒に居られる時間の少なさを感じると共に、この空間で”生活”をする事はないのだなぁ、と思う。

私は、今の働き方なり生き方なり、そのスタンスを気に入っていて、より良い発展は望むし変わっていきたいと思うのだが、これ以上水準を下げたくはない。
つまり、地元に腰を据えて”生活”をするという思考は無いのだ。
ただ代わりに、地元で仕事を生み出し、定期的に行き来はしたい思いはある。それは自分の動き次第だ。
最早、待ってるだけでは、つまらない。何も変わらない。

地元を出て1人で生活するという事は、「家族」というチームから抜け出したようなものなのだ。
弟も含めた4人で成長しあっていた組織から抜け出し、新天地で新しい関係を生み出し続ける9,10年を過ごしている。
そして実家に帰っても、古巣のチームに温かく迎えられている。そんな感覚。

”「家族」とはチームである”という考えがとても好きで、いつか誰かとこれからを過ごすなら共闘出来るチームでありたいと思う。
スポーツ観戦が好きな私なりの発想だ。
だから、たまに戻る事が出来る古巣チームでも、何かしらの貢献が出来るようにチームに対して働きかけていきたいものなのだ。

なんだかそういった事を再確認出来たような。そんな遅めの夏休みだった。ただの良い秋だった。

***


最後に父娘の会話を残しておきたい。

娘「あれ。今日は、xxxxxさん(父の大学時代の友人)のとこに泊まるの?」
父「いや。夜のバスで帰る。」
娘「おぉ、還暦手前のおじさんなのに、よくやるね。」
父「それだよ。」
娘「どれよ。」
父「還暦手前。」
娘「?」
父「母さんに言われたんだ。『還暦手前のおっさんが、いつまで友人の家に泊まって良いと思ってるの。』って。あの人は、遠出するにも絶対ホテル派だからな。誰かのところに厄介になる文化はないんよ…だから、今回は帰る。」
娘「…...今から、各地の友人を訪ねて、厄介になろうとしている私は。。。」
父「まぁ、完全に俺の子やな。最近、xxxさん(祖母)の遺品整理で、俺が20代の時の写真が出てきたんだけどさ、笑った顔がお前そっくりなんよな。いろいろ気をつけなや。」
娘「うぅ。まぁ、でも、私は親父のクローンじゃないわけさ。母さんの血が入ってるし、私は父さんとは違うベクトルを持った物の見方も出来ている。似ていても、私は私なんよ。」
父「それもそうな。」
娘「まぁ、そういう事です。」

まぁ、そういう事なんです。

昔から友達みたいなフラットな家族だなぁ、とは思っていたけれど、この年齢になってする親子の会話はまた良いものだ。

さて、今度の帰省で、何を語ろうか。