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見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

怒涛の10日間を終えてみて

"重なる時は重なる"とよく言ったもので。

今日までの10日間、<< 京都→東京→京都→鳥取→京都 >>、そんな距離を移動していた。
行く先々で「動くね〜大変だ」と言われると「いや〜まだ動くんですよね」と返してしまい「おいおい、どうして休みにしなかった。」と言われる始末。
道中の合間で仕事を挟んでいた。京都に戻って事務所で同僚と話したり、実家でリモートワークをしてみたり。そうしておかないと精神は保てないようだった。
永遠の夏休みというものは、私からすると、なんだかバツが悪いみたい。実家で過ごす時間は、世界から断絶したように隔離される気持ちだった。精神と時の部屋は案外慣れ親しんだ場所にあるようだ。居心地が良く罪深い感覚が常にあった。

 

10日間は、長いようで、やっぱり短く。

たくさんの人に会って喋った。お祝いをして幸せな時間もあった。今までのおさらいのような時間もあった。いつも通り見たいものを見るために歩いた。移動中もベットの中でもスヤスヤ眠った。美味しいご飯を食べた。作った。見たことのないものを見た。初めての体験をした。少し心が震えた。

ギュッと詰まった10日間。
なんだか、ここ10年のまとめのような気がして。
「これを繰り返す?それとも新しい何かを作る??いや、この中から何を選ぶ???」
夢の中で問いかけられて、問って。精神世界で自問自答を繰り返す。

 

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正午前に京都に戻る。
「さて今から自宅に荷物を置いて会社へ向かおう。」
歩き出して、ふと横を見てみる。京都タワーが目に飛び込んできた。

ただそこにある。変わらないランドマークだ。
なんだか安心してボーッと眺めてしまった。

 

この10日間、自然体過ぎるくらい自然だったのは、慣れ親しんだ皆さんに会ったりだとか、気が許せてしまう方々が常にいたからだと思う。
いつも以上に自由だった。「おぃおぃ」と思ってた人達もいたと思うけど、それでも楽しかった。楽しい人達の楽しい様を見ていた。それがまぁ、なんとも楽しかった。

「クララさんに会うと元気になれるよ。」

その一言が案外嬉しく、また私もそうやって元気をもらっているんだ、と実感出来る。

 

そんなことが再認識出来た。今の私にはそれだけで十分。

# いつも以上に脈絡もまとまりもなく。それでもボトルを放流してみたい。