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見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

過去と今と未来と #4 〜過去の自分との答え合わせ

「あれ。クラ、今年何歳だっけ?」
「11月に28歳になるんですよね。」
そんな言葉を口にすると、自身の身に、一気にアラサー感を帯びたような感覚に襲われる。
私は、27歳になった瞬間より、27歳を生きる今の方が「うっ」と来るものがあるようだ。

発してしまうと、18-22歳の私を知る皆は口を揃えてこう言うのだ。
「えぇ?!マジで。なんか〜ショックだなぁっ!」

そう、私もショック。
30歳が目前に迫っているから。
17歳の時、私は「30歳までには死ぬんだろう。」と思っていたのだから。
その虚弱さと精神の脆さ故に20代後半の未来が描けなかった過去があったが、そうだと思っていた20代後半になっていた。
大丈夫。今、なんだかんだでちゃんと生きている。

 

*****

 

私の"感覚"というものは、完全に21歳ぐらいで止まっている。
今もその"感覚"は忘れてなくて、でも日々、歳だけ重ねてる。そんな状態だ。

ここで言う"感覚"というのは、精神年齢の話ではない。
精神年齢で言うと、私は幼い頃からどこか大人びていて、話の合う同級生は手で数えた方が早く、学校の職員室に入り浸るような生徒だった。

"感覚"とは、感じ方や感受性の話。
今も未来もこの"感覚"は、鈍ってしまうかもしれないけど、忘れたくない。
だって、一番楽しくて若かった時だ。
無鉄砲で無敵とは、まさにあの時の状態だったかもしれない。スターモードって伊達じゃない。

そんな状態の私を知ってる人からすれば、今の私が、アラサーという事実が受け入れ難いのだろう。
ただ、私は私で、「あぁ、憧れていたアラサーになってしまったんだなぁ。」って思う。
だって、死を選ぼうとしていたんだから。
今はそんなこと無いんだけど、過去に心底思っていた事実は早々消し去れないものである。

 

*****

 

最近、私は、過去の自分と答え合わせをしている。
そして憧れのアラサーであった兄さんや姉さんが、若き日の私に言った発言を振り返って、自分に重ねている。

過去、私を仙台の地で泣かしたお兄さんがいる。
最早ネタなので泣かされたと表現する。
大学を卒業した22歳の私を、26,27歳そこらの彼が泣かせたのは、5年と思いきや、6年も前のこと。
内面を抉り取られた私にとっては、泣くという行為でしか、その感情の行き場を発散する事は出来なかった。発言した彼の真意が分かるようで、分からないでいた。

彼と同じ年齢になり、ふと当時の事を思い返すと、なんか分かったような気がして。
発言をした彼からすると、私を通して、自分自身対して思う事がたくさんあったんだろうな、と。
この年齢になって、見えてきたものがたくさんあるような気がして。フィルターがまた増えたなと。

だからこそ、私は仙台で泣かされて良かったと思ってる。
1つの事実は、その場で終わらない。
過去は、今も未来をも駆け巡って血肉になるから。
振り返りをした今、新たな素材として、自分の中に吸収されるんだから。

 

*****

 

私は、私が想像していた憧れの皆さんの27歳では無いけれど、この数年抑えていた過去の”感覚"を取り戻した等身大の27歳になったように思う。

2017年下半期の蠍座は、「前に出る。裏方でいることに飽きる。」って、しいたけ占いで見たんだ。
そうね。飽きたかも。
うん。お調子者の本質、発揮しちゃって良いんだろうか。笑

私は"誰か"じゃなくて、私なんだ。
やっと私は、"自分の物語"を、"私の物語"として認識出来てる。

30歳から先は分からないんだけど、30歳までにやりたい私事はあるの。
だから、それを"私の物語"の脚本家として筆を進めて、役者として演じれば良い。
誰だって、自分の人生においては、自分が監督。
執筆に飽きたら、演技指導をしてみよう。そしてなりきろう。
どっちかが出来てても、謳歌するには不十分なだよね、監督こと過去の自分よ。

答え合わせは一生終わらないや。
まだまだ始まったばかりだ。

過去と今と未来と #3 〜あかつき

この数年で好きになったアーティストで"パスピエ"というバンドがいる。
少し前まで顔を隠した彼らは、おそらく同世代の先輩にあたるような年齢のような存在で。
メインターゲットはティーンなんだろうけど、同世代である私の心にも、おっ、っと刺さるものがある。

 

最近リリースした"あかつき"は、インターハイ2017 読売新聞 CMのタイアップとなっている。
未来の日本代表になるであろう彼らを前に導く応援歌であり、夢を諦めず前へ進む人のための応援歌であり、夢を諦めたとて道はまだ続いていくという未来の希望を歌ったような歌である。

私は、この曲を初めて聴いた時、感極まるものが込み上げてきた。
ここまで全肯定するような歌詞に出会った事はあっただろうが。
ただただ、そんな感覚と鳥肌が全身を駆け巡る。

暁は変化の前触れ
変わりゆくことを臆さず行けよ
さようなら またいつか

憧れが繋ぐのは夢の続き
描いた道が重なり合う
眩しいほどに色増して


私は、自分の信念をこれと言うなれば「過去と今と未来の3人の自分が楽しく酒盛りをしたい。」という事に他ならない。
過去の厨二染みた自分の言動を今と未来の2人が全力で諭し、未来の雄弁を過去と今の私で目を輝かせて聴き、過去と未来の自分に板ばさみに合いながら、そのプレッシャーを振り払い、両者に手を差し伸べて今を進む私というのが理想形である。
この信念は、この4,5年でようやく姿を見せてきたものだけれど、自身の成長を合間って、ようやく良い道標になっているのではないかなとも思うのだ。

 

懐刀の器と鋭さと深さと柔軟性をより磨いていきたい。
直観力を全盛期まで戻したい。
引き出しは一度空にしなければ、新しい知識を入れられない。
一度壊れてしまった脳は元に戻せないけど、新しい形として磨く事は出来る。

私は闇持ちの人間で、最近ようやく自分なりの光輝く術を見出せたような気がする。
深淵に落ちる前にパラグライダーやらメ○ヴェでも使えるようになったのだ。
堕ちるよりも飛翔の方が楽しいものだ。
両方の感覚を知っているからこそ言える事でもある。

 

そう。臆さず行きたい。
その扉を開く鍵は、他の誰でもなく自分だから。