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kuraruk.blog

見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

ドーナツの穴

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”人は何かを埋めるように何かをする事がある”

 

そう思ったのは何時だったか

そう自覚したのは何時だったか

 

人間誰しも空虚たる時間は持っているものだと思う

ポツリと虚しくなる瞬間は私にだってある

虚無感は何時何処で訪れるか分からない

 

私達の心はいつだってドーナツ状で

ちゃんとした「◯」になるために「ドーナツの穴」を探している

「ドーナツの穴」は欠けた心を満たしてくれるだろうと

そう思い『どこだどこだ』と探し続けている

 

でも探していても見つから無いものだと思う

「ドーナツの穴」は自分のすぐ側にあり気付かず見過ごしてしまう物なのだ

 

『いろんな物事に気付いてもらうために、そういう風に神様が決めました!』

そう思うと楽なのだけれど

そうと私は思わない

ただの事実だ

 

気付かずに見過ごして無かった事にしている

そしてそんな事にも私達は気付けなくなってしまっている

 


心は一人だけで完成することは無いだろう

どれだけその人の芯が強かろうがなんだろうが

自身だけで完成したものは今まであっただろうか

< 誰か >に何かを差し伸べられて

より強固なものに研ぎ澄まされたのではないだろうか


何時だって自身を変えたのは

何気ない< 誰か >の一言では無かっただろうか

本で見かけた一節であろうが

直接言われた言葉だろうが

何時だって

そこに

確かに

< 誰か >

はいた


===


私は「ドーナツの穴」を特定の< 誰か >一人とする考えは好きではないです。
私にとって「ドーナツの穴」を担ってくれてる< 誰か >は大勢いる。大勢という言い方には語弊がありそう。でも両手では収まらない。
今は会えなかったり、二度と会えない場所にいたとしても、< 誰か >は一人と決められない。

それぞれの役割を担った「ドーナツの穴」が存在してるように思っています。
だからこそ、今までの関係を蔑ろにしたくないし、続いていくものがあるとするのなら、そういうものなんだろうな、とも思っています。


もう今年も終わりに近いのだけれど、
11月は、過去の答え合わせのような期間だと思ってしまいました。
いろいろな出会いと会話を通して、過去の出来事をあれそれと振り返ったけれど、やっぱり私は私でしかないなぁ、と。

この3年ほど、いろんな事があった。
また会えると思ってた人達がこの世からいなくなってしまったり、いろいろあって会えなくなったり。
けれども、私はいろんな「ドーナツの穴」に助けられて生きてきたなぁ、と。
会える時に会える人に出逢う事は、ある種の縁なのだなぁ、と。

 

過去の経験を踏まえて、自分にしか紡げないものがあるのなら、やっぱり続けてもいいものだと思う。
流されるのではなく、良いと思うものをやり続けるのは、気力もいるし負けそうになる事もある。
むしろ負けることの方が大概で、目の前で気付かずにボキボキ折られたり、仕方ないなと折ったりしている。そういう繰り返しだと思う。
それでもゆっくりでも良いからコツコツと積み上げていくのも良いもので、まぁゆっくりやるのが自分の性に合ってるな、と、久しぶりに会った人達との会話の中で思ったりもしたこの数週間でした。

 

そういうエモさを感じながら生きても良いんだと思います。
東京から遊びに来ていたアイドルを見送った後で、諸々振り返ってしまいボ〜っと思ってしまったので、ポエムしてみました。
「ドーナツの穴」に出会えた時の多幸感を大切にして生きていきたいもんですね。ドーナツが食べたい。エモ。