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kuraruk.blog

見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

ここで伝えなきゃ、いつ伝えるんだろうか。

その場所、その時間、そのシチュエーションは、二度と訪れることは無い。

時間が限られている中で、そして今までの流れを一刀両断するような質問を投げかけるのは如何なものなんだろう。

けれど、私の中で純粋に出たこの思いは、周りも聞いてみたい事であるだろうし、良いゴールを描けるんじゃないだろうか。

相談した彼からの後押しもあり、私は最後に横槍を入れてみる。

 

「主謀者から全ての企てを聞いてみたい、だなんて悪い奴やなぁ。」なんて自分でも思う。

ただ、この空間を生み出した彼女へのリスペクトであり、ロジックを純粋に聞きたかったのだ。

質問を遮る事なく聞き届けた彼女は、とても器の広い方だなぁ、と思ったし、また新たなトークも聞けて、素敵な統括を聞く事が出来た。

 

人の行動は「知る」と「伝える」、どちらかに偏ってはいけなくて、バランス良く相互的に行ったり来たりするのが、健全なんだ。

ここ数年、いや、生まれてから「知る」欲求がずっと勝っていて、「伝える」は少し億劫というか、「伝える」方法をどうすべきなのか、自分が無理なく「伝える」方法をずっと模索して、そして分からなくなり、いつしか行為そのものが嫌になっていた。「この『伝える』はxxxxxがやった方が上手に伝わるよな〜やめておこう。」「いや、私が言ったところで何も変わらないよな〜。」なんて諦めてた気持ちもあった。正直、未だにその気持ちは拭えない。これは根底にあるコンプレックスなので簡単に払拭出来るものではないのだ。

だけど、そういう思いがあったとしても、コンプレックスだとしても、私には私にしか出来ない考えがあって、人には人にしか出来ない考えがあるんだ。

そういったことを改めて再認識出来て、じゃあどうやっていこうか。なんてことをまたグルグル考えている。けど、以前よりかは軽い気持ちで出来るんだ。だって、「伝える」行動をとらなければ「伝わ」らないから。

 

こんな考えを聞けて良かった。まだまだ未来は楽しい。この世は楽しい地獄、という考えは好きだ。引き篭もってた時期や病気で何も出来ない時期やら、いろんな経験をしてきて、動ける今というのが、凄くありがたいのである。運動も出来ないし、世間一般基準より劣った生活もしてきた。だからこそ、自分を強く磨いて、「伝える」事をよりポジティブに捉えて良いんだと、そう思う。

30歳になるまで、自分で勝手に作った足枷を外していきたい。自分を縛り付けてるのは誰でもない、自分だ。