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見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

「ファッションは最速の言語だ」

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彼は私達にそういった。

彼は私達に問いかけるように、私達とコミュニケーションをするように話している。

だけど、私達は彼の連想ゲームを目の当たりにしているだけ。

私は、面白過ぎて手記が止まらなかった。この時間のメモを、PCを開いてタイピングでとるのは、逆に失礼に値する。というか、最早手記ではなく、彼の話にしっかりと耳を傾けた方が良いんだ。と気づくと、自然に手が動く。iPhoneのボイスメモを立ち上げる。

声を残す、という安心感が生まれた事で、目の前の情報にようやくついていく覚悟が出来た。

彼は、本当の芸術家だ。

私の経験と知識がまた上書きされた。

 

 

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忙殺されて、あの日々の感動が徐々に劣化しているように思う。

一通りコミュニケーションをとりたい方々にはお礼が言えたけれど、ちゃんと自分の中でまとめきれていない。

記憶が劣化しないように、脳内と心の引き出しに、壊れないように閉まっておく。それが今取れる良策である。

「終わった、終わった。」と達成感で満たされるだけじゃなくて、「じゃあ次をどうする?」は見ておかないと。それをしておかないと消費するだけの人間だ。それは嫌なのだ。

 

物事をブラックボックスに入れてばかりではいけないんだろう。誰しも、ドラえもんの4次元ポケットみたいな自分だけの秘密のポケットはあるものだ。でもそんなポケットだって、映画や大事な場面では、肝心な道具はいつも出てこない。ドラミちゃんは、的確に出してくれる。

散らかった状態は"悪"ではないと思う。その方がパフォーマンスの良い人間はいくらでもいる。身近にもいるし、私もその類の人間だ。

とは言えど、やはり人に説明出来ないと意味ない事もある。

自己中心の素質があるならば、自分だけを守る自己中心になってはいけない。何かに還元する、何かを守れる自己中心でいなければ、本当の自己中心になってしまうだろう。

 

 

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数年前までオレンジキャラだった。

衣服の一部にオレンジ色の何かを身につけ、人に印象を与える。アウターやパンツ、スカート、マフラー、リュック。。。全身オレンジ装備が出来るぐらい何かしらアイテムがある。当時はアウターやリュックで印象付けていて、「オレンジさん」「オレンジの子」で覚えられていた。

最近は、この7,8年ほど愛用しているnoonのオレンジの腕時計や靴下や靴など、ワンポイントで収まっている。とか、抑えている。その方が好きな服を着れる。

オレンジに助けられた事も多い。だからこそ、今は着たい服が着れる。

「ファッションとは、言葉を発さなくても、見ただけで分かる最速の言語だ。」

着飾らなくて良い。自分が長く付き合える、着たい服を着よう。その方が余程、自分らしい。

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書きたいけど

とても残念な事に目の前の仕事を片付けるよりも書きたい文章がある。

書きたい旅行記がある。

書きたいあの日の思いがある。

書きたい自分の思索がある。

 

ただそれらに注力出来ないのは、目の前の仕事があまりにもタイトで、細かなものが五月雨式のように来るからだ。

通院のタイミングで休みを取ることになるのだけど、身体は少しガタガタしてるが、心は定期的に息抜きをしてるから、まだなんとかなりそうだ。もっと病んでいた時の状態を知っているから、今はまだ軽い。

 

そうなんです。昨日の自分ありがとうってなるの。

私がここに文章を残すのは、未来の自分が「あぁ、あんな事もあったなぁ」なんてニヤニヤすれば良いと思ってるから。

 

未来の私よ。

今、正直しんどいけど、諸々のターニングポイントになってるから、転けて失敗もしてるけど乗り越えてるよ。

過去の私が作った足枷を今、外していってるよ。

だから、未来である君は大丈夫だから。

思いきってやってやりなよ。

ここで伝えなきゃ、いつ伝えるんだろうか。

その場所、その時間、そのシチュエーションは、二度と訪れることは無い。

時間が限られている中で、そして今までの流れを一刀両断するような質問を投げかけるのは如何なものなんだろう。

けれど、私の中で純粋に出たこの思いは、周りも聞いてみたい事であるだろうし、良いゴールを描けるんじゃないだろうか。

相談した彼からの後押しもあり、私は最後に横槍を入れてみる。

 

「主謀者から全ての企てを聞いてみたい、だなんて悪い奴やなぁ。」なんて自分でも思う。

ただ、この空間を生み出した彼女へのリスペクトであり、ロジックを純粋に聞きたかったのだ。

質問を遮る事なく聞き届けた彼女は、とても器の広い方だなぁ、と思ったし、また新たなトークも聞けて、素敵な統括を聞く事が出来た。

 

人の行動は「知る」と「伝える」、どちらかに偏ってはいけなくて、バランス良く相互的に行ったり来たりするのが、健全なんだ。

ここ数年、いや、生まれてから「知る」欲求がずっと勝っていて、「伝える」は少し億劫というか、「伝える」方法をどうすべきなのか、自分が無理なく「伝える」方法をずっと模索して、そして分からなくなり、いつしか行為そのものが嫌になっていた。「この『伝える』はxxxxxがやった方が上手に伝わるよな〜やめておこう。」「いや、私が言ったところで何も変わらないよな〜。」なんて諦めてた気持ちもあった。正直、未だにその気持ちは拭えない。これは根底にあるコンプレックスなので簡単に払拭出来るものではないのだ。

だけど、そういう思いがあったとしても、コンプレックスだとしても、私には私にしか出来ない考えがあって、人には人にしか出来ない考えがあるんだ。

そういったことを改めて再認識出来て、じゃあどうやっていこうか。なんてことをまたグルグル考えている。けど、以前よりかは軽い気持ちで出来るんだ。だって、「伝える」行動をとらなければ「伝わ」らないから。

 

こんな考えを聞けて良かった。まだまだ未来は楽しい。この世は楽しい地獄、という考えは好きだ。引き篭もってた時期や病気で何も出来ない時期やら、いろんな経験をしてきて、動ける今というのが、凄くありがたいのである。運動も出来ないし、世間一般基準より劣った生活もしてきた。だからこそ、自分を強く磨いて、「伝える」事をよりポジティブに捉えて良いんだと、そう思う。

30歳になるまで、自分で勝手に作った足枷を外していきたい。自分を縛り付けてるのは誰でもない、自分だ。