脳内スイッチはどの仕様にすべきか
「やる気スイッチ」は無いと思ってる。
過去の自分がそう言ってたし、知人の文章を読んで激しく頷いたからだ。
でも「脳内スイッチ」はあると思ってる。
私は頭の中に引き出しやスイッチがゴロゴロと転がっているタイプの人間だ。
「今は構築をしないといけないな。よし、プログラミング言語のスイッチを入れよう。」
「あの企画をやっていきたい。よし、脳内を徘徊するために、探索ツールのスイッチを入れよう。何と何を組み合わせたら面白くなるか、見つけてみよう。」
「今日は脳内にある何かを文章にしてみたい。よし、書き物スイッチを入れよう。」
「あぁ、今日は手を動かしてイラストを描いてみたい。たまには色鉛筆も使いたいなぁ。よし、画材の引き出しを開けて、スイッチを入れよう。クーピーとか、クレパスあったら、最高だけど思い出せるかなぁ。」
「映画見たいな。とりあえず、今ONになっているスイッチ全部OFFにして、世界観に浸ろう。」
と自分自身の中で脳内会議をして、スイッチをパチパチとON / OFFしている。
それが昔から当たり前の行為で、今まで何一つ疑問に思っていなかったものなのだ。
そうではあるのだけれど、少し最近、業務で多忙。正直なところ、日常生活はかなり疎かにしている。でも、とりあえずまだ生きてるから良いかな、という気持ち。
多忙過ぎる中で、自身のコントロールが出来ておらず、そのスイッチの切り替えがしんどくなっている。
おそらくかつてないスピードでスイッチのON / OFFが行われていて、パチパチと目まぐるしく、脳内を駆け巡る。寝ても寝ながら回転を続けているようで追いつかないし、久しぶりに10時間以上睡眠したいけれど、状況がそれを許してくれない。そもそもこんな文章書く時間を作るなら、他の事をしろよ、という話だけれど、これをしないと私の精神は既に崩壊しているし精神保つ方法の一つなので許してくれよ、とも思う。
そのON / OFFをする行為をやめれば良い話ではあるけれど、それをしてしまうと、私は私ではなくなるし、そんな私は面白くない。
誰かに助けを求める話ではないし、自身でなんとかしないとな〜と考えていたら、「あぁ、こういうことなのかな。」って事を思いついた。
脳の切り替え(言語、デザイン、文章、企画...etc)をON/OFFのスイッチ感覚でやってるけど、今まで壁際の電気のスイッチみたいにバチバチ切り替えてたけど、ミキサーみたいにフェードの感覚を取り入れたら、もう少し余地が出来そうな気がする。
— KURA (@KurAruK) 2017年2月6日
そう、私のスイッチの形状は全て、壁際にあるスタンダードなスイッチだったのだ。言ってしまえば、ON / OFFしか出来ない単純な機能のもの。1日の内にON / OFFを繰り返すと電球の寿命は縮まり、交換を余儀なくされる。それと一緒の状態なんだろう。
でも自分の脳内スイッチを消すことは出来ない。じゃあ、どうすれば良いか、って考える。スイッチの形状に目が移る。スタンダードなスイッチだけが壁際のスイッチではない。先のツイートで述べたような段階的なスイッチもあれば、クルッと回せるツマミのようなスイッチもあるのだ。他にもあるけれど、壁際のスイッチって、1つだけじゃないんだよな〜なんて。
自分の中にある要素を消してしまうのは勿体無いけれど、自分の中にある要素をアップデートする事は誰しも出来るはずだ。
このスタンダードなスイッチを、1から100まで、全ての仕様を変更するには時間がかかるだろう。だけど取り急ぎ、よく使うスイッチについては仕様を変えてみるのだ。縦に移動させるのか、円を回すのかは、好みの問題なんだけども、とりあえず段階的な機能がついたフェードイン / アウトが出来るものに。そしたら少しは省エネだとか、なんだとかで、寿命が伸びるんだろうし、上手く使えるようになるんじゃないだろうか。
変えたばかりで上手くコントロールは出来てないけれど、少しずつ練習すれば出来るようになるはずで。これが上手い事いけば、もっといろんな事が出来るようになるはずだし、それはそれで楽しそうな事が待ってるなぁ、なんて思いながら文章を書くスピードも速めている。要は慣れなんだと思ってる。
日々の中で新しい物事に取り組む余地を生み出していきたい。余地はいろんな余裕を生む。いろんな助言があったとしても、自分を変えるのは誰でもなく自分だ。そしてそれに気づく余裕すら無い自分なのなら、一旦全てをOFFにしても何ら問題は無いと思う。
私は全てをOFFにし過ぎて休養を取っていた時期もあったんだけれど、ONの中でしか気づかない人間のようだった。OFFになった時に「そのクララさんは誰も望んでいないので、少しでも良いから動いてくれませんか。」と言われたのは、そういう事なのかもしれない。良くも悪くもその一言を投げかけられた3年前から、よくここまで回復したなぁ、なんて思ってる。
なので、私は上手い状態のしんどくないONを見つけていく、それでしかない。頃合いのONを見つけた人間が一番強いのだ。良いパフォーマンスが発揮できる状態を模索していきたい。
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というのを最近余力があれば考えているのですが余力があれば書きたいAM3:00(170215 3:00)
イラストだけ先に晒していたけれど、文章も追記しました。もっと早く書けるようなりたい。(170215 13:45)
「ファッションは最速の言語だ」
彼は私達にそういった。
彼は私達に問いかけるように、私達とコミュニケーションをするように話している。
だけど、私達は彼の連想ゲームを目の当たりにしているだけ。
私は、面白過ぎて手記が止まらなかった。この時間のメモを、PCを開いてタイピングでとるのは、逆に失礼に値する。というか、最早手記ではなく、彼の話にしっかりと耳を傾けた方が良いんだ。と気づくと、自然に手が動く。iPhoneのボイスメモを立ち上げる。
声を残す、という安心感が生まれた事で、目の前の情報にようやくついていく覚悟が出来た。
彼は、本当の芸術家だ。
私の経験と知識がまた上書きされた。
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忙殺されて、あの日々の感動が徐々に劣化しているように思う。
一通りコミュニケーションをとりたい方々にはお礼が言えたけれど、ちゃんと自分の中でまとめきれていない。
記憶が劣化しないように、脳内と心の引き出しに、壊れないように閉まっておく。それが今取れる良策である。
「終わった、終わった。」と達成感で満たされるだけじゃなくて、「じゃあ次をどうする?」は見ておかないと。それをしておかないと消費するだけの人間だ。それは嫌なのだ。
物事をブラックボックスに入れてばかりではいけないんだろう。誰しも、ドラえもんの4次元ポケットみたいな自分だけの秘密のポケットはあるものだ。でもそんなポケットだって、映画や大事な場面では、肝心な道具はいつも出てこない。ドラミちゃんは、的確に出してくれる。
散らかった状態は"悪"ではないと思う。その方がパフォーマンスの良い人間はいくらでもいる。身近にもいるし、私もその類の人間だ。
とは言えど、やはり人に説明出来ないと意味ない事もある。
自己中心の素質があるならば、自分だけを守る自己中心になってはいけない。何かに還元する、何かを守れる自己中心でいなければ、本当の自己中心になってしまうだろう。
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数年前までオレンジキャラだった。
衣服の一部にオレンジ色の何かを身につけ、人に印象を与える。アウターやパンツ、スカート、マフラー、リュック。。。全身オレンジ装備が出来るぐらい何かしらアイテムがある。当時はアウターやリュックで印象付けていて、「オレンジさん」「オレンジの子」で覚えられていた。
最近は、この7,8年ほど愛用しているnoonのオレンジの腕時計や靴下や靴など、ワンポイントで収まっている。とか、抑えている。その方が好きな服を着れる。
オレンジに助けられた事も多い。だからこそ、今は着たい服が着れる。
「ファッションとは、言葉を発さなくても、見ただけで分かる最速の言語だ。」
着飾らなくて良い。自分が長く付き合える、着たい服を着よう。その方が余程、自分らしい。