それをあげたいと思った
カラフルなバイカラーのバブーシュを買ってしまった。
初めて立ち寄った店。その期間しかしていない展示。偶然だけど、その空間、その時間に私はいる。
カラフルなバイカラーが広がる。どれも可愛くて目移りしてしまう。ただの一目惚れ。
良いな、良いなと見ていたら、これは誰のために選ぶんだろう、とふと考えた。
自分も履きたい。でも、誰かにも履いて欲しいなぁ。誰かなぁ。父さん、この前誕生日だったなぁ。父さんにあげるなら、母さんにもあげたいなぁ。あ、弟、進学するんだった。お祝いあげないとなぁ。あ〜おばあちゃんにもかな、どうかな。
なんて連想ゲームが脳内に広がる。
日常的に使うスリッパだ。素材も良いし、革製だ。長く使って欲しい。大切な人達の日々に彩りを与えたい。
そしたら不思議なものでその人のカラーが浮かんだり、履いて欲しい色が自ずと決まってくる。履いてたら良さそうだなぁ、なんて妄想をして。
私自身は、どうしようかとかなり悩んだ。好きな組み合わせがあったけど、サイズが無く。グレーとオレンジが欲しかったなぁ。
じゃあと思って、あえてオレンジが入った物を選ばずに、モノトーンな物にした。
長く使えそうだなと思って。墨の色はやはり好きだ。
私の服装は、バイカラーワンピース、バイカラータイツで、絵に描いたようなバイカラー人間だった。
作家さんにインスピレーションを与えたようで、「次にこの組み合わせ作って見ますね!」なんて言われて笑ってしまう。
途中で何足も選びだして、心配されたのか「気になる物があれば履いてくださいね」と聞かれた。
「あまりにも素敵なので、家族にもあげたいと思ったので、選んでます!」と返す。
シンプルな行動だ。あげたいと思ったから選ぶ。
あげる時には手紙も添えよう。良いと思ったから良いんだ、という言葉は、とても大切なように思う。感性は大切な何かで磨かれるのかもしれない。
こんな事を書いていたら、社会人一年目に、弟と従弟の進学祝いでnoonの腕時計をプレゼントしたを思い出した。もう4年も前の話だ。
その時もあげたいからあげた、だった。
プラスチックのシリーズなので長くは持たなかったらしいけど、二人とも壊れるまで使ってくれた。
美大に行った姉(従姉)から一生に一度貰えるか貰えるないかの貰ったプレゼントとして、今も捨てずにしまってくれてるらしい。嬉しい事だ。
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これを選んでる最中、偶然友人から連絡が入り、合流して二人で話をしていた。
誘い方は「夢にクラちゃんが出てきたから。」という、なんとも粋なものだった。
「なんで夢に出てきたの?」
「寝る前に友達と話をしてたんだ。クラちゃんが私の事を下の名前で呼び捨てにするじゃん。それがなんでかね、それは私だけなのかね、って。だから気になって、夢で聞いてたの。」
「そしたら?夢の私は、なんて?」
「他にもそうしてる子もいるし、呼びたいからそうしてるんだ〜って。」
「笑った、なるほどね。じゃあ、イメージのままやね。他にもそうやって呼んでる子いるよ。下の名前で呼び捨て。苗字呼び捨てもあるし、あだ名もあるし、"ちゃん"、"くん"もつけてるよ。その人に合った呼びたい名前を呼んでるだけ。だから、君には苗字でもなく、"ちゃん"付けでもなく、下の名前呼び捨てなんよ。」
それをそうしたい、こうしたい、どうしたいと思う感情は、何事にしても大切な事だと、私はここに残すよ。
考える葦であれ
???「うわっ。爆買いですね。恵文社でそんなに買う人始めて見ました。」
!!!「そう?学生の時は、毎回10冊とか余裕だったよ〜まぁだいぶ売ってしまったんだけどね...」
と言って、私は6冊ほどレジに持っていく。
毎回冊数に制限をかけない。なんとなく10冊前後が決まり。何故制限をかけないか、というと、選んだ本は全て直感で選んでいて、その時に自分が必要だなと思う本がたいがいだからだ。前から欲しかった本もあるけど、その時にしか出会えない、これが今読みたい、なんて本を選ぶ。そのスタイルは、今も昔も変わらない。
相変わらずポップな脳内だなぁ、って思う。
付き合ってくれた年下の友人は、「よく買いましたね〜」なんて眼差しで見てくるけど、これを親友に言わせると「あぁ相変わらずやね。ちょっと冊数減ったんちゃう?」と言ってくるんだろう。
2人とも纏う空気が一緒だ。いつか会わせてみたい、なんて思う。
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ひと段落というか、少しだけ区切りがつく。
そのタイミングで自分の事を客観的に見るというか、思考を整理するための手助けをする会を設けて貰った。
改めて、私は話す事で、整理される人間なんだなぁという事が良く分かる。
思いを人に伝えるというのは、些細なことであれ、日常であれ、どれほど難しいか。
でも難しく捉えずにどう向き合うのか、どう逃げるか。
そういえば「伝わればラッキーなんだよね」と話をしていた人の事を思い出した。
そんな話をちゃんと自分の中でまとめないとな、と思う。
アウトプットを仕込む週末にして、脳の中の水を空っぽにするぐらい出してしまおう。
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こんな事をうにゃうにゃと考える帰り道。
タイトルをどうしようかと思ったら、不意に出てきたのが、このタイトルだ。
これは小学校の時の校歌の一節で、よく口にしていたものだ。
砂丘には葦が生えていて、遠足で訪れる度に「あれが校歌に出てくるやつだよ〜」なんて先生達が言う。
砂の中に広がる緑のエリアは、なんとも見事なものだ。たくましく慎ましく生きている。
いつまでもファイターではいられないし、いつまでも一人だけで思考を完結させてはいけない。
私は、トップギアを入れて一人で行っていたジグソーパズルを、ギアを落として皆で出来るようにピースの解説をしながらやっていかなければいけない。
そういうターンなようなそういう機会のような。
いずれにしても良い転機には変わりない。逃げるために向き合う。
不確かな世の中だからこそ、確かなものを見つけていく。それは多くの安寧をもたらすんだ。
だからこそ、少しは目を閉じて。さぁ、おやすみ。