kuraruk.blog

見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

過去と今と未来と #3 〜あかつき

この数年で好きになったアーティストで"パスピエ"というバンドがいる。
少し前まで顔を隠した彼らは、おそらく同世代の先輩にあたるような年齢のような存在で。
メインターゲットはティーンなんだろうけど、同世代である私の心にも、おっ、っと刺さるものがある。

 

最近リリースした"あかつき"は、インターハイ2017 読売新聞 CMのタイアップとなっている。
未来の日本代表になるであろう彼らを前に導く応援歌であり、夢を諦めず前へ進む人のための応援歌であり、夢を諦めたとて道はまだ続いていくという未来の希望を歌ったような歌である。

私は、この曲を初めて聴いた時、感極まるものが込み上げてきた。
ここまで全肯定するような歌詞に出会った事はあっただろうが。
ただただ、そんな感覚と鳥肌が全身を駆け巡る。

暁は変化の前触れ
変わりゆくことを臆さず行けよ
さようなら またいつか

憧れが繋ぐのは夢の続き
描いた道が重なり合う
眩しいほどに色増して


私は、自分の信念をこれと言うなれば「過去と今と未来の3人の自分が楽しく酒盛りをしたい。」という事に他ならない。
過去の厨二染みた自分の言動を今と未来の2人が全力で諭し、未来の雄弁を過去と今の私で目を輝かせて聴き、過去と未来の自分に板ばさみに合いながら、そのプレッシャーを振り払い、両者に手を差し伸べて今を進む私というのが理想形である。
この信念は、この4,5年でようやく姿を見せてきたものだけれど、自身の成長を合間って、ようやく良い道標になっているのではないかなとも思うのだ。

 

懐刀の器と鋭さと深さと柔軟性をより磨いていきたい。
直観力を全盛期まで戻したい。
引き出しは一度空にしなければ、新しい知識を入れられない。
一度壊れてしまった脳は元に戻せないけど、新しい形として磨く事は出来る。

私は闇持ちの人間で、最近ようやく自分なりの光輝く術を見出せたような気がする。
深淵に落ちる前にパラグライダーやらメ○ヴェでも使えるようになったのだ。
堕ちるよりも飛翔の方が楽しいものだ。
両方の感覚を知っているからこそ言える事でもある。

 

そう。臆さず行きたい。
その扉を開く鍵は、他の誰でもなく自分だから。

言葉を略す

「君は、言葉を略したがるんだね。」

付き合いは4年になってしまった。カウンター越しの魔女がそう私に言い放つ。

言われてみれば確かにそうだ。
無意識のうちに略して言葉を発していた。
直近で指摘されたのは、"歩行者天国"を"ほこ天"って、"とりあえず、まぁ"を"とりま"って。

言ってる時は違和感無いけど、指摘されたり、こうして文字にしてみると、略すってなんとも独特な文化だなぁ、と思う。

日本語は、ひらがな・カタカナ・漢字の3つから成り立つ言葉だ。
その複雑さは他言語にはなく、それらを用いて、言葉を略したり多様に使い地域によって訛りに差があるのも、日本語だから、いや日本人独特のセンスのような。
言葉を使った文字遊び、俳句、詩やら。言語による発展はいろいろあって面白いなぁ、なんて思う。

普段は、日本語とhtml,css,javascript,phpを使っていて、今は時々英語を学習しているんだけど、最近は日本語に戻ってるというか、よく本を読んでる。

言いたい事や知りたい事は、結局自分の主言語をちゃんと理解してないと意味が無いって事で「国語」に原点回帰するんだ。

ちゃんと言語を面白いと認識して勉強したのは、漢文とActionScriptだけだったんだけど、まぁ2つとも今は抜け落ちていて見ればそうだそうだって理解が早い言語なんだけど、言うてもASは面白いと思っていた割には途中でこんがらがってしまったんだけど。

最近はやっと現代文と古文が面白いなぁ、なんて思ってる。
英語はちゃんと取得したいんだけど、言語的な面白さでいうと他の言葉も知りたい。イタリア語とスペイン語は現地で話して楽しかった。文字の面白さでいうとハングル語にはずっと興味があったりもする。
言語は面白い。だって、それだけで世界が広がるから。

なんか、その流れがあるからこそ、略するのは意味を知って、適切な言葉遊びをするのが良いみたい。なーんてね。