考える葦であれ
???「うわっ。爆買いですね。恵文社でそんなに買う人始めて見ました。」
!!!「そう?学生の時は、毎回10冊とか余裕だったよ〜まぁだいぶ売ってしまったんだけどね...」
と言って、私は6冊ほどレジに持っていく。
毎回冊数に制限をかけない。なんとなく10冊前後が決まり。何故制限をかけないか、というと、選んだ本は全て直感で選んでいて、その時に自分が必要だなと思う本がたいがいだからだ。前から欲しかった本もあるけど、その時にしか出会えない、これが今読みたい、なんて本を選ぶ。そのスタイルは、今も昔も変わらない。
相変わらずポップな脳内だなぁ、って思う。
付き合ってくれた年下の友人は、「よく買いましたね〜」なんて眼差しで見てくるけど、これを親友に言わせると「あぁ相変わらずやね。ちょっと冊数減ったんちゃう?」と言ってくるんだろう。
2人とも纏う空気が一緒だ。いつか会わせてみたい、なんて思う。
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ひと段落というか、少しだけ区切りがつく。
そのタイミングで自分の事を客観的に見るというか、思考を整理するための手助けをする会を設けて貰った。
改めて、私は話す事で、整理される人間なんだなぁという事が良く分かる。
思いを人に伝えるというのは、些細なことであれ、日常であれ、どれほど難しいか。
でも難しく捉えずにどう向き合うのか、どう逃げるか。
そういえば「伝わればラッキーなんだよね」と話をしていた人の事を思い出した。
そんな話をちゃんと自分の中でまとめないとな、と思う。
アウトプットを仕込む週末にして、脳の中の水を空っぽにするぐらい出してしまおう。
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こんな事をうにゃうにゃと考える帰り道。
タイトルをどうしようかと思ったら、不意に出てきたのが、このタイトルだ。
これは小学校の時の校歌の一節で、よく口にしていたものだ。
砂丘には葦が生えていて、遠足で訪れる度に「あれが校歌に出てくるやつだよ〜」なんて先生達が言う。
砂の中に広がる緑のエリアは、なんとも見事なものだ。たくましく慎ましく生きている。
いつまでもファイターではいられないし、いつまでも一人だけで思考を完結させてはいけない。
私は、トップギアを入れて一人で行っていたジグソーパズルを、ギアを落として皆で出来るようにピースの解説をしながらやっていかなければいけない。
そういうターンなようなそういう機会のような。
いずれにしても良い転機には変わりない。逃げるために向き合う。
不確かな世の中だからこそ、確かなものを見つけていく。それは多くの安寧をもたらすんだ。
だからこそ、少しは目を閉じて。さぁ、おやすみ。
脳内スイッチはどの仕様にすべきか
「やる気スイッチ」は無いと思ってる。
過去の自分がそう言ってたし、知人の文章を読んで激しく頷いたからだ。
でも「脳内スイッチ」はあると思ってる。
私は頭の中に引き出しやスイッチがゴロゴロと転がっているタイプの人間だ。
「今は構築をしないといけないな。よし、プログラミング言語のスイッチを入れよう。」
「あの企画をやっていきたい。よし、脳内を徘徊するために、探索ツールのスイッチを入れよう。何と何を組み合わせたら面白くなるか、見つけてみよう。」
「今日は脳内にある何かを文章にしてみたい。よし、書き物スイッチを入れよう。」
「あぁ、今日は手を動かしてイラストを描いてみたい。たまには色鉛筆も使いたいなぁ。よし、画材の引き出しを開けて、スイッチを入れよう。クーピーとか、クレパスあったら、最高だけど思い出せるかなぁ。」
「映画見たいな。とりあえず、今ONになっているスイッチ全部OFFにして、世界観に浸ろう。」
と自分自身の中で脳内会議をして、スイッチをパチパチとON / OFFしている。
それが昔から当たり前の行為で、今まで何一つ疑問に思っていなかったものなのだ。
そうではあるのだけれど、少し最近、業務で多忙。正直なところ、日常生活はかなり疎かにしている。でも、とりあえずまだ生きてるから良いかな、という気持ち。
多忙過ぎる中で、自身のコントロールが出来ておらず、そのスイッチの切り替えがしんどくなっている。
おそらくかつてないスピードでスイッチのON / OFFが行われていて、パチパチと目まぐるしく、脳内を駆け巡る。寝ても寝ながら回転を続けているようで追いつかないし、久しぶりに10時間以上睡眠したいけれど、状況がそれを許してくれない。そもそもこんな文章書く時間を作るなら、他の事をしろよ、という話だけれど、これをしないと私の精神は既に崩壊しているし精神保つ方法の一つなので許してくれよ、とも思う。
そのON / OFFをする行為をやめれば良い話ではあるけれど、それをしてしまうと、私は私ではなくなるし、そんな私は面白くない。
誰かに助けを求める話ではないし、自身でなんとかしないとな〜と考えていたら、「あぁ、こういうことなのかな。」って事を思いついた。
脳の切り替え(言語、デザイン、文章、企画...etc)をON/OFFのスイッチ感覚でやってるけど、今まで壁際の電気のスイッチみたいにバチバチ切り替えてたけど、ミキサーみたいにフェードの感覚を取り入れたら、もう少し余地が出来そうな気がする。
— KURA (@KurAruK) 2017年2月6日
そう、私のスイッチの形状は全て、壁際にあるスタンダードなスイッチだったのだ。言ってしまえば、ON / OFFしか出来ない単純な機能のもの。1日の内にON / OFFを繰り返すと電球の寿命は縮まり、交換を余儀なくされる。それと一緒の状態なんだろう。
でも自分の脳内スイッチを消すことは出来ない。じゃあ、どうすれば良いか、って考える。スイッチの形状に目が移る。スタンダードなスイッチだけが壁際のスイッチではない。先のツイートで述べたような段階的なスイッチもあれば、クルッと回せるツマミのようなスイッチもあるのだ。他にもあるけれど、壁際のスイッチって、1つだけじゃないんだよな〜なんて。
自分の中にある要素を消してしまうのは勿体無いけれど、自分の中にある要素をアップデートする事は誰しも出来るはずだ。
このスタンダードなスイッチを、1から100まで、全ての仕様を変更するには時間がかかるだろう。だけど取り急ぎ、よく使うスイッチについては仕様を変えてみるのだ。縦に移動させるのか、円を回すのかは、好みの問題なんだけども、とりあえず段階的な機能がついたフェードイン / アウトが出来るものに。そしたら少しは省エネだとか、なんだとかで、寿命が伸びるんだろうし、上手く使えるようになるんじゃないだろうか。
変えたばかりで上手くコントロールは出来てないけれど、少しずつ練習すれば出来るようになるはずで。これが上手い事いけば、もっといろんな事が出来るようになるはずだし、それはそれで楽しそうな事が待ってるなぁ、なんて思いながら文章を書くスピードも速めている。要は慣れなんだと思ってる。
日々の中で新しい物事に取り組む余地を生み出していきたい。余地はいろんな余裕を生む。いろんな助言があったとしても、自分を変えるのは誰でもなく自分だ。そしてそれに気づく余裕すら無い自分なのなら、一旦全てをOFFにしても何ら問題は無いと思う。
私は全てをOFFにし過ぎて休養を取っていた時期もあったんだけれど、ONの中でしか気づかない人間のようだった。OFFになった時に「そのクララさんは誰も望んでいないので、少しでも良いから動いてくれませんか。」と言われたのは、そういう事なのかもしれない。良くも悪くもその一言を投げかけられた3年前から、よくここまで回復したなぁ、なんて思ってる。
なので、私は上手い状態のしんどくないONを見つけていく、それでしかない。頃合いのONを見つけた人間が一番強いのだ。良いパフォーマンスが発揮できる状態を模索していきたい。
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というのを最近余力があれば考えているのですが余力があれば書きたいAM3:00(170215 3:00)
イラストだけ先に晒していたけれど、文章も追記しました。もっと早く書けるようなりたい。(170215 13:45)