kuraruk.blog

見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

そういえば何も知らない

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先日、こんな場所を発見して。
諸事情により、トイレ休憩と周りをブラついただけなんだけど、すごくB級スポットだったな、と。

「何で、"イングランドの丘"なんよ?」
「日韓W杯の時の名残りよ。」
「ぁ、、、合宿地か!」
と従兄と会話をする。

そうだ、そうだ。
この国では、全国各地に2002年の名残りがあるのだ。

ぉ、じゃあそういえば、2020年ってどうなるんだっけ。東京五輪

インターネットの海にダイブして、それとなく回遊する。
「選手村とかどうなるんやろ」と思って探してたのだけれど、ふと目に止まる。

一通り目を通したんだけど、何これ。めちゃくちゃ面白い。

成されている意見はもちろん有識者の物なんだけど、各々の立場・視点・経験で話し合いがされていて、ちゃんと資料として残っている。

それを一般市民である私が読んでいる。

議事録の中身もそうなんだけど、そのフローさえもめちゃくちゃ面白い。
参加してないのに読めちゃうじゃん。
しかも、割と口語で議事録が残されているんだなって。
ある種の議事録の勉強にもなる。

なんなら、各委員会毎の議事録の形式も面白い。
明朝体・ゴシック体・行間・文字間、全部バラバラ
読みやすいと読みにくいが混同している。

でも、これは私にとっての感じ方であって、議事録をまとめた当事者方にすれば、それぞれの読みやすいかもしれない。
業界が違えば、そこに沿った形式もあるのだから。

議事録の向こうに、この資料をまとめた人がいるんだな、って思うと、それもまた面白いんだよね。
AIが発達した世の中になれば、これをする仕事もなくなるのかもしれないけれど、人が見えてくる、っていう事がめちゃくちゃ面白い。

 

情報って手に取らないだけで、そこらじゅうにゴロゴロ落ちているんだな、って。
まだまだ何も知らない。もう少し掘ってみよう。

まだまだ続く これが僕らのハイウェイ

“if”を考える。”もしも"。
でも結局“if”とは、“if”でしかなくて。
目の前にある結果が”今"という全て。
だからこそ、私は“今”が好きだし、“今”を愛してる。

“今”に付き合ってくれる全てに感謝したい気持ちだ。

風よ、海よ、太陽よ。ありがとー。
なんだこれ。手塚漫画の一節なのかーーー!

ここに“今”立ってるぞー

頂の景色が気持ち良いのも、
誰も知らない景色が気持ち良いのも、
自分だけしか知らない景色が気持ち良いのも、
仲間と分かち合った景色が気持ち良いのも、

知ってるんだぞー

過去の記憶から快感を思い出せー
疲れたら休めー
君のその体からバッテリー外してやるぞー


僕らはまだまだ生きている。
何がきっかけで死ぬか分からない世の中になった。
だからこそ、否定ではなく、肯定で物事を見よう。

それにたどり着くためには、
Aが良いんですか、Bが良いんですか、Cが良いんですか。

はい。
提示はしてみたけど、君なりの、Dが一番カッコイイんじゃない。
そうじゃない。

その、Dのカードは、
最初からある必要もなく、ABCを組み合わせても良いし、
無から生まれた有でも良いと思う。
過去にあったものでも斬新なものでもよくて。

現状を打開する何かなら、ひいた甲斐があるじゃん

ってとこだよね。
それぐらいの感覚で良くないですか。

だって、まだまだ続くよ。僕らの長い長いハイウェイ。

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# 生まれて初めて淡路島に行って、うずしおを見た。
# 電車酔い・車酔いと乗り物酔いをして、久しぶりに虚弱体質を120%発揮する。
# 救ってくれたのは、少しの酔い止めと心地よく吹く潮風と澄み渡る青い海。
# 橋の向こうは、徳島だし、現実世界なのでルギアも出ないんだけれど、異常にワクワクした。
# まだまだ知らない景色と世界がある。それだけで十分。
# 未開拓ゾーンがあるのなら、踏み入れてみれば良いし、過去の開拓地ももう一度見直せば良い。
# 世の中ヒントだらけだから、パチパチ・カチカチ、頭の中をリズミカルにしていけば楽しくて良いな、って今はスッキリ思えるな。

風紋

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「風紋」という言葉は、この土地で過ごした身としては聞き慣れた言葉であった。
が、あまり実物を見る事は無い。

小中学校の近くに立つ大学の大学祭。
鉄板焼き屋の名前。
広報誌や学級通信の名称。

日常に「風紋」はあった。
しかし、実物は現地まで行かなければ、見る事はない。
鳥取砂丘なんて、地元に住んでいたとしても、そう易々と行くようなところではないのだ。

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久しぶりに「風紋」の姿を見る。
その姿を見て、なんだか私は感心していた。ポツリと呟く。

「風は遊ぶかのように模様を作るのだなぁ。」

嵐の翌日の砂丘は、
心地良いサラッとした風と日本海から吹きつける悪戯な潮風が駆け巡る。
二つの異なる風は、舞い遊ぶかのように大地を駆け、自然のうねりを、
残していく。記していく。刻んでいく。描いていく。

「二度は無いよ。これは、今、この瞬間だから出来るんだ。だからこそ、遊んでいる。」

そう言っているかのように、カメラを持つ私の身に、砂を打ちつける。
馬の背*1からシャッターをきる私に。
体勢を変えたとて、彼らは無邪気に大地を駆け巡っているのだ。

私は首から下げたカメラを、右肩から斜めに掛け直した。
なんだかカメラを構えているのが阿呆らしくなってきたのだ。
砂つぶがついたカメラを手元で軽く抱えながら、馬の背から、少し小走りで駆け降りる。

「そうそう。そんな調子!」
「良い感じじゃん!」

そうやって風達に言われているような気がして、ハッと気がつく。
より広大な景色が目の前に広がっていた。
何も無い場所には、何かがあるようだ。

*1:砂丘の一番高い場所。馬の背中のような起伏があるため、そう呼ばれている。