kuraruk.blog

見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

これからの1年

記憶と記録を何らかの形で残さなければいけない。

公にするのは、来年以降の話になるかもしれないけれど、それでも綴っておかなければならない。

書く媒体をどうすべきかは悩んでいるけれど、そこに工数をかけると、書く内容がお座なりになるので、おそらく別でブログを立ち上げて進めていきそうだ。

 

今、少しだけ、忙しさが落ち着いている。

今後ももしかすると、また同じ忙しさがやってきて、何も手につかない時間が多々訪れるかもしれない。

そうなったとしても、1年かけて向き合ってやり遂げなければいけない事がある。

この1年の立ち振る舞い、向き合い方が、今後の私の道筋を照らすものとなる。

そんな1年になるのだ。

 

今から紡ぐ繋がりがどんなゴールを描くのか。

まだまだ私も見えていないけれど、ワクワクしかしていない。

この1年、「遊び」心を忘れずに、逃げずに取り組んでいきたい。

 

そんな個人プロジェクトを始めていきます。

ようやく全ての歯車を噛み合わせる瞬間が来ました。

そんなところなのです。

🌀🌀🌀🌀🌀

目紛しい7月が過ぎ

目紛しい8月が終わりの合図をし

目紛しい9月が始まろうとしている

 

等身大で誠実に

でもやりたい事は今後の展望は

ちゃんと声に出して伝えるべきだと

改めて思い知ったんだ

 

声は伝われば次に繋がる

時にはゆりかごのように優しく

時には台風のように荒々しく

そんなそんな

 

完全にこの3ヶ月は

人生の中で忘れられない転機になるだろう

 

人生の中の

とある章が始まり

とある章が始まった

 

ただそれだけの事

 

そして

普通に生きてるのがすごい事

 

絶望して

世界を終わらせる選択をしなくて良かった

 

世界はキラキラと眩く光っている

視点を変えれば

希望はたくさん転がっている

 

それを素直に純粋に受け取れるかどうか

 

私はやっと

希望をあるがままに

受け取れる事が出来るようになった

 

でもいつも通りの捻くれた

別視点の見方を改めて回復させないと

 

もっと他方向から物事を捉え考え

次に進めていきたいと切に願う

そして行動する

過去と今と未来と #4 〜過去の自分との答え合わせ

「あれ。クラ、今年何歳だっけ?」
「11月に28歳になるんですよね。」
そんな言葉を口にすると、自身の身に、一気にアラサー感を帯びたような感覚に襲われる。
私は、27歳になった瞬間より、27歳を生きる今の方が「うっ」と来るものがあるようだ。

発してしまうと、18-22歳の私を知る皆は口を揃えてこう言うのだ。
「えぇ?!マジで。なんか〜ショックだなぁっ!」

そう、私もショック。
30歳が目前に迫っているから。
17歳の時、私は「30歳までには死ぬんだろう。」と思っていたのだから。
その虚弱さと精神の脆さ故に20代後半の未来が描けなかった過去があったが、そうだと思っていた20代後半になっていた。
大丈夫。今、なんだかんだでちゃんと生きている。

 

*****

 

私の"感覚"というものは、完全に21歳ぐらいで止まっている。
今もその"感覚"は忘れてなくて、でも日々、歳だけ重ねてる。そんな状態だ。

ここで言う"感覚"というのは、精神年齢の話ではない。
精神年齢で言うと、私は幼い頃からどこか大人びていて、話の合う同級生は手で数えた方が早く、学校の職員室に入り浸るような生徒だった。

"感覚"とは、感じ方や感受性の話。
今も未来もこの"感覚"は、鈍ってしまうかもしれないけど、忘れたくない。
だって、一番楽しくて若かった時だ。
無鉄砲で無敵とは、まさにあの時の状態だったかもしれない。スターモードって伊達じゃない。

そんな状態の私を知ってる人からすれば、今の私が、アラサーという事実が受け入れ難いのだろう。
ただ、私は私で、「あぁ、憧れていたアラサーになってしまったんだなぁ。」って思う。
だって、死を選ぼうとしていたんだから。
今はそんなこと無いんだけど、過去に心底思っていた事実は早々消し去れないものである。

 

*****

 

最近、私は、過去の自分と答え合わせをしている。
そして憧れのアラサーであった兄さんや姉さんが、若き日の私に言った発言を振り返って、自分に重ねている。

過去、私を仙台の地で泣かしたお兄さんがいる。
最早ネタなので泣かされたと表現する。
大学を卒業した22歳の私を、26,27歳そこらの彼が泣かせたのは、5年と思いきや、6年も前のこと。
内面を抉り取られた私にとっては、泣くという行為でしか、その感情の行き場を発散する事は出来なかった。発言した彼の真意が分かるようで、分からないでいた。

彼と同じ年齢になり、ふと当時の事を思い返すと、なんか分かったような気がして。
発言をした彼からすると、私を通して、自分自身対して思う事がたくさんあったんだろうな、と。
この年齢になって、見えてきたものがたくさんあるような気がして。フィルターがまた増えたなと。

だからこそ、私は仙台で泣かされて良かったと思ってる。
1つの事実は、その場で終わらない。
過去は、今も未来をも駆け巡って血肉になるから。
振り返りをした今、新たな素材として、自分の中に吸収されるんだから。

 

*****

 

私は、私が想像していた憧れの皆さんの27歳では無いけれど、この数年抑えていた過去の”感覚"を取り戻した等身大の27歳になったように思う。

2017年下半期の蠍座は、「前に出る。裏方でいることに飽きる。」って、しいたけ占いで見たんだ。
そうね。飽きたかも。
うん。お調子者の本質、発揮しちゃって良いんだろうか。笑

私は"誰か"じゃなくて、私なんだ。
やっと私は、"自分の物語"を、"私の物語"として認識出来てる。

30歳から先は分からないんだけど、30歳までにやりたい私事はあるの。
だから、それを"私の物語"の脚本家として筆を進めて、役者として演じれば良い。
誰だって、自分の人生においては、自分が監督。
執筆に飽きたら、演技指導をしてみよう。そしてなりきろう。
どっちかが出来てても、謳歌するには不十分なだよね、監督こと過去の自分よ。

答え合わせは一生終わらないや。
まだまだ始まったばかりだ。