これからの1年
記憶と記録を何らかの形で残さなければいけない。
公にするのは、来年以降の話になるかもしれないけれど、それでも綴っておかなければならない。
書く媒体をどうすべきかは悩んでいるけれど、そこに工数をかけると、書く内容がお座なりになるので、おそらく別でブログを立ち上げて進めていきそうだ。
今、少しだけ、忙しさが落ち着いている。
今後ももしかすると、また同じ忙しさがやってきて、何も手につかない時間が多々訪れるかもしれない。
そうなったとしても、1年かけて向き合ってやり遂げなければいけない事がある。
この1年の立ち振る舞い、向き合い方が、今後の私の道筋を照らすものとなる。
そんな1年になるのだ。
今から紡ぐ繋がりがどんなゴールを描くのか。
まだまだ私も見えていないけれど、ワクワクしかしていない。
この1年、「遊び」心を忘れずに、逃げずに取り組んでいきたい。
そんな個人プロジェクトを始めていきます。
ようやく全ての歯車を噛み合わせる瞬間が来ました。
そんなところなのです。
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目紛しい7月が過ぎ
目紛しい8月が終わりの合図をし
目紛しい9月が始まろうとしている
等身大で誠実に
でもやりたい事は今後の展望は
ちゃんと声に出して伝えるべきだと
改めて思い知ったんだ
声は伝われば次に繋がる
時にはゆりかごのように優しく
時には台風のように荒々しく
そんなそんな
完全にこの3ヶ月は
人生の中で忘れられない転機になるだろう
人生の中の
とある章が始まり
とある章が始まった
ただそれだけの事
そして
今
普通に生きてるのがすごい事
絶望して
世界を終わらせる選択をしなくて良かった
世界はキラキラと眩く光っている
視点を変えれば
希望はたくさん転がっている
それを素直に純粋に受け取れるかどうか
私はやっと
希望をあるがままに
受け取れる事が出来るようになった
でもいつも通りの捻くれた
別視点の見方を改めて回復させないと
もっと他方向から物事を捉え考え
次に進めていきたいと切に願う
そして行動する
過去と今と未来と #4 〜過去の自分との答え合わせ
「あれ。クラ、今年何歳だっけ?」
「11月に28歳になるんですよね。」
そんな言葉を口にすると、自身の身に、一気にアラサー感を帯びたような感覚に襲われる。
私は、27歳になった瞬間より、27歳を生きる今の方が「うっ」と来るものがあるようだ。
発してしまうと、18-22歳の私を知る皆は口を揃えてこう言うのだ。
「えぇ?!マジで。なんか〜ショックだなぁっ!」
そう、私もショック。
30歳が目前に迫っているから。
17歳の時、私は「30歳までには死ぬんだろう。」と思っていたのだから。
その虚弱さと精神の脆さ故に20代後半の未来が描けなかった過去があったが、そうだと思っていた20代後半になっていた。
大丈夫。今、なんだかんだでちゃんと生きている。
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私の"感覚"というものは、完全に21歳ぐらいで止まっている。
今もその"感覚"は忘れてなくて、でも日々、歳だけ重ねてる。そんな状態だ。
ここで言う"感覚"というのは、精神年齢の話ではない。
精神年齢で言うと、私は幼い頃からどこか大人びていて、話の合う同級生は手で数えた方が早く、学校の職員室に入り浸るような生徒だった。
"感覚"とは、感じ方や感受性の話。
今も未来もこの"感覚"は、鈍ってしまうかもしれないけど、忘れたくない。
だって、一番楽しくて若かった時だ。
無鉄砲で無敵とは、まさにあの時の状態だったかもしれない。スターモードって伊達じゃない。
そんな状態の私を知ってる人からすれば、今の私が、アラサーという事実が受け入れ難いのだろう。
ただ、私は私で、「あぁ、憧れていたアラサーになってしまったんだなぁ。」って思う。
だって、死を選ぼうとしていたんだから。
今はそんなこと無いんだけど、過去に心底思っていた事実は早々消し去れないものである。
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最近、私は、過去の自分と答え合わせをしている。
そして憧れのアラサーであった兄さんや姉さんが、若き日の私に言った発言を振り返って、自分に重ねている。
過去、私を仙台の地で泣かしたお兄さんがいる。
最早ネタなので泣かされたと表現する。
大学を卒業した22歳の私を、26,27歳そこらの彼が泣かせたのは、5年と思いきや、6年も前のこと。
内面を抉り取られた私にとっては、泣くという行為でしか、その感情の行き場を発散する事は出来なかった。発言した彼の真意が分かるようで、分からないでいた。
彼と同じ年齢になり、ふと当時の事を思い返すと、なんか分かったような気がして。
発言をした彼からすると、私を通して、自分自身対して思う事がたくさんあったんだろうな、と。
この年齢になって、見えてきたものがたくさんあるような気がして。フィルターがまた増えたなと。
だからこそ、私は仙台で泣かされて良かったと思ってる。
1つの事実は、その場で終わらない。
過去は、今も未来をも駆け巡って血肉になるから。
振り返りをした今、新たな素材として、自分の中に吸収されるんだから。
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私は、私が想像していた憧れの皆さんの27歳では無いけれど、この数年抑えていた過去の”感覚"を取り戻した等身大の27歳になったように思う。
2017年下半期の蠍座は、「前に出る。裏方でいることに飽きる。」って、しいたけ占いで見たんだ。
そうね。飽きたかも。
うん。お調子者の本質、発揮しちゃって良いんだろうか。笑
私は"誰か"じゃなくて、私なんだ。
やっと私は、"自分の物語"を、"私の物語"として認識出来てる。
30歳から先は分からないんだけど、30歳までにやりたい私事はあるの。
だから、それを"私の物語"の脚本家として筆を進めて、役者として演じれば良い。
誰だって、自分の人生においては、自分が監督。
執筆に飽きたら、演技指導をしてみよう。そしてなりきろう。
どっちかが出来てても、謳歌するには不十分なだよね、監督こと過去の自分よ。
答え合わせは一生終わらないや。
まだまだ始まったばかりだ。