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見聞きして考えた事を綴ってます。趣味です。

親の顔より祖父母の顔

備忘録。先日、とある大学教授とお話ししたお話し。

 

「今の学生と接する時はね、僕は、親の顔は見ないのよ。祖父母の顔が見れたら見ちゃう。」
「あら、何故です?」
「今の親も謂わば『検索世代』なのよ。インターネットで調べれば何でも手に入っちゃう。子育てもググれば出てくるわけ。そんな世代は僕らからしてみれば、学生と一緒なんだよね。考えずに情報を鵜呑みにしてるわけだから。だから、『親の顔より祖父母の顔』。祖父母世代は、自分の力や周りに聞くことで子育てをしてきたわけだから。だから、祖父母の顔を見れば、教えてる学生にマナーが備わってるかどうかなんて一発で分かるんだよね。」

 

私はその先生と学生のマナーについてお話をしていた。

『検索世代』と『親の顔より祖父母の顔』というフレーズが妙に頭に響いている。

 

来年から学生数がガクンと減るそうだ。
大学も学生確保により必死になっている。その内、大学数も減るだろう。国公立とは言えど安心してはいけない。各校でより一層の特色が強化されるだろう。

学び直し、少子化、子どものため。
そういったフレーズがより一層叫ばれている。
今の国の制度からして、すぐに解決することでもなく。
確かに昔に比べて、良くなっていることも多い。まだ自由に生きやすくなった。
私はいろんな隙間を見つけて自由に動く。保・小・中・高・大・社。今でも結局変わらない。
とは言え、黙って傍観しているのも、ちゃんちゃらおかしい話でもある。
当事者にならないと本当の楽しみも苦しみも知りえないのだから。

 

 

いろいろ思うところはあるのだけれど、私は「気づき」「学び」「体験」の場を継続していきたいのだ。自分の好奇心を満たすために。根幹的な原動力には、上っ面は叶わないのだから。

もちろん子どもは好きなので、子どものための何かはしたいんだけれど、その子どもにお金を落とすのは、子どものまま大人になってしまった我々なのだ。

『検索世代』たる我々の"リアルな場での気づき"。
デジタルのインタラクションが進化していくのと同様にアナログである日常のインタラクションも進化していかなければ、私が好きな「気づき」「学び」「体験」はどこか味気ないものになってしまう。

 

そんな気がしているのだ。

私達の今後の進化の鍵は、古き良きを少しでも知ることからかもしれない。

祖父母が生きていた内に話しておくべきことがあった。

そう思うのだ。

とある日の言葉

今までは何かを伝える事をやってた人は、自分のために何かを伝えるという事にフォーカスをおいて行動しても良いのだと思う。それが自慰だと言われても、誰かの何かには必ずなるし、届くべき人達に届く。それは最高の体験じゃないですか。発信しないと何も伝わらん。

この言葉をとある友人に贈ったのですが、それはこれを発している自分にも言い聞かせているような、そんな感じがしたんだと。

ここに残したい。

それでも飛び続ける

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それは東北での出来事だった。

私は、遅めのモーニングを食べに行くために、一回り年上の友人夫妻の車の後部座席にいた。前日の夜は、しこたま酒を飲み、珍しく酷い二日酔いであった。多少のちゃんぽんは良いが、日本酒とワインは合わせるものでは無い。
酔い止めを服用し、これでもかというほど水分をとり、車に乗り込む。

道中は、夫妻と会話をしながら、瞼がくっつきそうで、常時うつらうつらとしている状態。

 

ふと、目を開け、空を眺めてる。

左方から白鳥が飛来してきて、「あぁ。さすがに広大な田舎道に、こんな立派な白鳥が飛んでくるなんて、絵になるもんだなぁ。」とボンヤリ思っていた最中であった。

 

鈍い音が響き、奥さんが悲鳴をあげ、サイドガラスを上げる音がする。

 

一瞬の出来事であった。白鳥が車にぶつかってきたのだ。片翼が車内に入りそうになり、びっくりした奥さんは、悲鳴を上げながら瞬時の判断でサイドガラスを上げていた。

その一部始終を後部座席で見ていた私は、びっくりしながらも、視界の右方へ消えた白鳥を追う。ぶつかりながらも翼を羽ばたかせ、視界を左から右へ移動している。その羽ばたきは、何故かスローモーションのように捉える事が出来た。
視界から消えたので振り向いて、リアガラス越しに探したけれど、それは既にどこかへ消えた後だった。私の視界には、広大な空と田園が広がっていた。

 

「わ〜びっくりしたぁ!!!」
「だ、大丈夫でした?」
「いやぁ〜白鳥って車にぶつかってくるもんなんだなぁ〜皆、大丈夫?」

煙草をふかせながら旦那さんが言う。ハンドルをしっかり握っていたおかげで、車がスリップするといったような事故にはならなかった。

 

それからお店に着くまでの道中は、あの白鳥の話で持ちきりで、あっというまにお店に着いた。車を降りて、ぶつかった部分を皆で確かめると、白っぽい粉が付着していた。白鳥の羽はモフモフしていそうだ、血が出ていなくて良かった、なんて話で店内でも盛り上がる。

 

そんな話の最中、私は、あの白鳥はそれでも飛び続けたんだなぁ、という事をふと思った。

かなり鈍い音がしたので、骨が折れたとまではいかないけれど、捻挫のようなものはしているだろう。保護したり手当しようにも、視界から消えてしまったので、彼は自力で治すしかない。
突然のアクシデント。だが、彼は倒れるでもなく、こちらに敵意を向けることなく、飛び続けた。

 

それだけは変わらない事実である。
それは何だか、日常のいろんな物事に当てはまるような気がした。
そういったことを遅めの夏休みの中で感じたのであった。

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