あの日、どこにいましたか。
私は、とある会社の一次試験を受けるために、
大阪の高層ビルの20階にいました。たぶん20階。たしか20階。約20階。
そうです。就職活動の真っ最中だったのです。
大学3→4年に変わる春休み。
ちょうどその頃、所属していたコースで行ったイベントをまとめた冊子を作成していました。
前日も、デザイナーとして冊子を作成してくれる同期と共に、担当の先生、クライアントさんとやり取りをしていて、私は制作進行として日々調整中。
そしてあの日は、ちょうど冊子の入稿日でした。
「試験が終わったら、すぐに戻りますので。そしたら入稿しましょう!!」と徹夜をして、その試験を迎える事になりました。
慣れないスーツとパンプスを履いて、いざ大阪へ。
私は、梅田が複雑でダンジョンみたいだと思っていて、勝手に「うめダンジョン」と呼んでいます。
そんな「うめダンジョン」をずいずい進み、会場に到着。
会場には、30数名のスーツを着た同じ就活生達が既に着席中。
「後10分で始めますので、後ろの席にお願いします。」
と言われ、急いで席へ。
三人がけの席の真ん中に座ると、ギリギリで入ってきた二人が両隣へ座る。
「案外、窮屈だなぁ、座席ミスっちゃったなぁ。」
試験官からの会社説明ガイダンスが終わり、
さて、いよいよ、筆記試験がスタート。
眠いけど、記入して答案を埋めていかないと...。
記入を始めた数十分後、目の前がゆっくり、ゆ〜っくり、揺れてきました。
「あれ、さすがに連日夜遅かったし、徹夜してるし、いよいよおかしくなってきたのかな、私...」
と思っていたのだけど、さすがに様子がおかしい。
「これは、おかしすぎるでしょ!」
と思い、鉛筆を置いて、顔を挙げる。
部屋全体がグラついている。
そのおかしさに何人か気づいているようで、私は両隣に座っていた受験生と顔を合わせ「何かおかしいよね」というアイコンタクトをとる。
試験中でしたが「ちょっと、これ、おかしいですよね...」と試験官を呼ぼうと手を挙げようと思った直後でした。
ぐらんっ
部屋が大きく横に揺れたんです。
そして、地響きが響く。
部屋はゆっくり大きく横に揺れ続ける。
まるで船に乗っているように。
私は誰よりも早く、机の下に隠れてました。釣られて、両隣の二人もサッっと。
ついでに机の上に置いてあった筆記用具もサッっと、鞄へ。
試験官の女性は「皆さん、落ちついてください。状況が分かるまで、机の下に隠れt...きゃっ!」と自身も机にしがみつく。
本当に立っていられないぐらい、大きく大きく揺れる。
ミシッ、ミシッ。。。
という音が響く。
まるでビルに亀裂が入っているようでした。
アニメ・映画脳の私は、何故か一瞬でAKIRAのビル倒壊シーンが脳内を駆け巡った後、とにかくビルが倒壊する映像が脳内でループ再生。
「ぁー、これ死ぬのかな。ぇ、今日の入稿どうしよう。まだ最終チェックしてないんだけど。いや、それより、実家の家族に会ってない。今度の彼岸に帰るつもりだったのに会えずに死ぬの。まだ行ってないところ多すぎるし、ぇ、まだ死にたくない。うわーーー地震〜〜〜っ!!!」
と心の中で叫びながら、全てが収まるのを待つ。
どれくらい経ったかは分からない。
揺れもおさまり、歩いても大丈夫じゃないか...というタイミングで、
別の男性試験官がやってくる。
「皆さん、試験は一旦中止です。
一先ず、ビルを出ましょう。それからまたお伝えいたします。」
20階から階段を降りる。
慣れないスーツとヒールで、「お・は・し(おさない・はしらない・しゃべらない)」を守りながら、「案外、子ども時代に受けた教育はいざという時に身を助けるんだな〜」と思いながら。
(「一体、何が起きたんだろう...」と喋ってる人もいたんですけどね。就活生より大人な皆さんがペチャクチャ喋っている印象でした。)
降りるのなんて一瞬なはずなのに、とても長い時間をかけていた気になる。
地上に出ると、例の男性試験官から
「本日の一次試験は、中止とします。
今後については、またインフォメーションページにて案内させていただきますので、皆さん今日は早く帰ってくださいね。おつかれさまでした。」
と。あっけないような、的確なような。テキパキとした言い回しだった。
途方にくれた我々受験生は、
とりあえずtwitterを見たり、ニュースサイトを見たり、電話をかけようとして、
ビルには、どこかの新聞社が入っていたようで、
デカいカメラを構えたカメラマンがそんな私達の様子を撮っていた。
「こういう時は、絵になるように立ち振る舞えばいいんだよ。」
と誰かが言い出しているけど、それどころじゃない、情報収集だ。
こんな感じだった気がする。
TLが錯綜していて、どういう状況なんだろうか、何がなんだか分からない。
とにかく東で大きな地震があったのだ、という事が分かる。
はっ!っと我に返って、入稿の事を思い出す。
先生に連絡をとると、とりあえず京都は無事なようだ。
さすが、結界都市、京都。。。
「一旦落ちついて、この時間にここにおいで。」
と先生に言われたので、両隣に座っていた受験生と3人で仲良くお茶をすることに。
「ぇ、今日どこから来たんですか?わぁ、北陸なんですね!」
「へー、院生なんですね〜。」
「何学部で何学んでるんですか?」
なーんて。
久しぶりに一般大学の人と話してるな〜なんて思いながら、3人で会話をしていると、店内の大型テレビから例の波の映像が流れ、店全体がどよめく。
その映像があまりにも衝撃的で
「東京にいるクライアントさんは無事?」
「東京にいる先生や先輩達、大丈夫かな??」
「ぇ、だから、今日の入稿どうしよう???」
「東京お礼参り計画がーーーーー!?!?」
とグルグル、脳内をいろんな感情が駆け巡る。
「すみません!私、次にやらないといけない事があって!!」
と言って、二人と別れ、いざ京都へ。
(ちなみに、その二人とは、時代的にmixiのフレンド交換をしたようなしてないような。それ以来、全く連絡とってないし、残念ながら顔も覚えていない。)
帰りの阪急電車で、大阪が震度3だった事を知り、
「体感では、震度5ぐらいはあったんじゃないかな〜〜〜???」と思いながら眠気と戦う。
京都に戻り、待ち合わせ場所に着くと、
担当の先生とデザイナーの同期が待っていて、
「今日の入稿は、延期しよう。分かってると思うんだけど、東京にいるクライアントさんがそれどころじゃない。あちらからのレスポンスを待って、もう一度動こう。」
という話をし解散。
私は「えぇ?!」とテンパってしまい、「いや、でも!」を繰り返し、2人に宥められた記憶があります。
(お2人とも、その節はありがとうございました...!)
家に着いて、
「今日はいろいろありすぎて疲れたな...リスケになったし、ちょっとゆっくりしよう...」と思って、テレビをつける。
どのチャンネルでも、あの波の映像が流れている。
連日の眠たさと今日一日での心身の疲れ、さらにあの波の映像の威力。
自分にかかる負荷があまりにも大きすぎて、気持ち悪くなり、トイレに駆け込んだ記憶がこの日の最後。
それから泥沼のように眠り、起きたのは、次の日のお昼前。
午後から高校生に向けたワークショップを行うため、
ダッシュで大学に向かったのでした。
(入稿は2日後に無事に終えました。)
それが私の3.11。
あれから5年経ちました。
未だに高層ビルは少し怖いです。
みんな、それぞれの3.11の記憶があると思います。
私は引き続き京都で生きていますが、
あの日の出来事を、思いを、風化しないために今、綴ってみました。
あなたは、あの日、どこにいましたか。