0 to 1 | to -> 間 | 間の捉え方 | 間とは曖昧なもの
日々を過ごしていると、季節が極端になってきたように思う。
端的に言ってしまうと、「秋」が無い。
あっという間に終わってしまったように思う。
今日は"立冬"だ。
寒さ的な話をすると、1週間前から京都は「冬」の装いだ。
京都に戻る度に身に纏う装備を変更しなければいけない。
実際にそうしている。寒いよ、京都。京都の夜は青みがかっている。
日々を過ごしていると、今後の日本は、「夏」か「冬」の2択になるんだろうな、と漠然と思う。
まるで0か1のような。無か有か。
現実世界はどんどん極端になっているような錯覚を抱く。
「ちいさい秋、見つけた。」という歌詞があるように、
「秋」は見つけないといけないものになっている気がしている。
「春」と「秋」は見つけに行かなければ消えてしまう。
どんどん短くなっていく。あるはずだった時間は、どんどん萎縮していく。
そうして、"間"の季節は、ゆっくりと眠りについてしまうのだろうか。
消えていってしまうのだろうか。
*0*から*1*に移行する過程、"間"の世界。*to*
たくさんの軸が入り混じった世界。私はそれを『曖昧』なものの様に捉えている。
そもそも結果よりも過程が好きだ。
過程の中にはたくさんの『曖昧』さがある。
表面では見る事が出来ない、本質めいた物がある。
その本質にたどり着くまでにたくさんの『曖昧』を掻き分けていかなければならない。
そのように思っている。
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個人の感想です。 pic.twitter.com/pZPn5twCd7
— 堀出井靖水 a.k.a 大型新人 (@horideiyasumi) 2016年11月5日
このツイートを見て、まさにそうだな、と思ってしまった。
現在進行形で自分もその状態だと言える。
「良い」と感じている*to*の部分はたくさんあるはずなのに、
*1*として出てくる言葉が干からびている。
と思っていたのだが、実は、*to*の部分も整理出来ていないのかもしれない。
*0*から*1*になったはずなのだが、これでは*0*と一緒なのかもしれない。
整理する前に、世の中の「良さ」に流されてしまっている。
自己と対話する前に表面に流されようとしている。
"間"の世界に浸ろうとする前にどこか制御をしようとしている。
そのように思っている。
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先日、友人達と話している時に、
「書く」と「話す」について、各々の意見を交換した事があった。
そこに至った話の流れとしては、
まさに上記で取り上げたような「語彙力が乏しくなっている」という話があり、
自分が「良い」と思ったものをどのように相手に伝えるべきか、
そもそも伝えるって何?
というような核まで掘り下げて話をしてしまった。
「書く」
自分との対話。使う言葉を選択出来る。
じっくりおいて、寝かせて、考える事が出来る。
自分自身の中で完結した整理が出来る。
「話す」
他者との対話。相手によって使う言葉が異なる場合が多い。
場合によって、返答に即興性が求められる。テンポやリズムが異なる。
自分に無かった視点がプラスされる。
自分の中で言語化されていなかった、「曖昧」だったもの、気づかなかった物事を整理する事が出来る。
両方とも、自身の中に秘めた「伝える」事が出来る手段だ。
得意・不得意もあるんだけど、両方とも出来た事に越した事はなく、日々練習だよね、と話した。
それに向き合う時間は日々必要だ、と。
アウトプットされる*1*の手前にある、"間"に向き合わないとね、と。
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先日、誕生日を迎えて歳をとった。
節目を迎える時にもやっているが、
定期的に自分を見返して、結局私は何なんだ、と。
自身の性質を見返したり、次にどう動くべきか、足りてないものは何か、
家族や友人、同僚は私のどこを良いと思っているのか、どこを苦手だと思っているのか、とか。「曖昧」にしていたものを言語化して、少し自分と向き合う。
これは私の要素だ、と思っておかないといけないな、と思うのは、
「好奇心」と「行動力」だ。良くも悪くもこれは評価されている。
私の中には、何本もの「線」が入り混じってると思う。
以前は分野毎の「箱」を持っている感覚だったが、今は「線」のように思う。
細かったり、太かったり。
まばらな「線」が多々あり、常に流動的にしておかなければ腐る。
古かろうが新しかろうが、知らなかった何かを「線」の中に仕入れる。
知らなかった何かを知るために動く。
堂々巡りになるかもしれないが動かなければ何も始まらない。
それは今後とも私の中の軸になるんだろう。
この要素を殺す事無く、よりよく活用するために、私はもう少し"間"と向き合って動きたい。
スピードは速くて良い時もあれば悪い時もある。
時間の流れは人それぞれだ。もっとコントロールしないと。
If You Want To Go Fast, Go Alone. If You Want To Go Far, Go Together
早く行きたければ、一人で行きなさい。遠くへ行きたければ、みんなで行きなさい。
- アフリカのことわざ
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人生はサービス業だ、と説かれた事があった。
直接そう言われたわけではなく、その場に居合わせて、
そのように私は感じて、事が収まった後にそう説いた人に話して意見を求めた。
不満たらたらで愚痴っている女性よりも、
思考を巡らし、解決策を見出し、包み込む様な女性でありたい。
"人の振り見て我が振り直せ"、ではないけれど、愚痴をいう浴びせられる時間は多かれ少なかれしんどい。相手との関係性にもよるけれど。反省したい。
これは、また別の機会に綴りたい。
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父親が学生時代を過ごした街の近くへ行ったので、父がお世話になっている店主を訪ねた。
私より父に会っているおじさんから、父の"間"を聞く。
「この前、東京出張に行ってたんだけどね。僕が訪れた美術館に行けば、彼がいて『いやぁ、奇遇ですね。』なんて言うんだよね。しかも、一度だけじゃ無くて二度もさ。彼も出張らしいんだけど、二日連続で会うとは思わなかったよね。切っても切れないんだよ、彼とは。」
あぁ、それでこそ、私の父親だ。
そして、やっぱり私はその血が流れているのか、と頭を悩ませた。
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つらつらと思ったままに書いてしまった。
相変わらず、まとめるべきや眠らせている文章もあるのだけど、一先ずはその時に感じた事、"鉄は早いうちに打て"ではないけど、自分なりの整理をつけるためにブログを通して文章化していきたいと思う。
文章を書くにはスキルはいるし、読みやすい読みにくい文体もある。
私の文章は、人によっては、とても読みにくいであろう。相変わらず出てくる言葉は稚拙だ。
だけれども、何かを書き残すという行為は、何かを伝えたい行為だ。
そして、これは私自身の対話であり、これを読んでる誰かとの対話だ。
稚拙だろうと、これは等身大の私である。
背伸びするよりも今を懸命に生きて、成長していきたい。
本を読むのが好きな人は、"人"が好き。
と、何かの本で読み、誰かに言われた覚えがある。
結局のところ、皆、何かを誰かに、目の前の相手に伝えたいのだ。
そして、伝えるための"間"と「曖昧」なものと向き合っているのだ。
この"間"にきちんと向き合った人こそ、真に強い人間のように思う。
"間"に向き合った人間の発する言葉というものは強い。
こんなまとまりのない文章が27歳最初のブログになると思わなかったけれど、
何事も練習であるので、これを27歳最初のブログに、自身の対話としたい。